●2024年6月23日(日)礼拝メッセージ要旨 

今日は黙示録6:1~17からです。聖書の他の箇所についても言えることですが、特に黙示録の場合、その記事が時系列に記されているわけではありません。時系列と思って理解しようとすると、混乱が起きてしまいます。例えば、ある人が「私は昨日、東京に朝早く出かけ、家に帰ったのは夜遅くになりました。」と言っておいて、そのあとで、「お昼は○○店で食事をしました。」と言ったとします。黙示録についても、そのように、後から追って細かい部分の説明を度々加えているようです。本日は、 「第1~第6の封印」という題で、6つの封印を3つの種類に分類して、ポイント3つ上げていきます。 

1.第1~第4の封印…小羊が第一の封印を解くと、「白い馬に乗っている者が弓を持っていて、彼は冠を与えられ、勝利の上に勝利を得ようとして出て行った」とあります。色々な解説書を調べても、ここの解釈は困難です。正義の陣営にいる者なのか、それとも終末に現れる反キリストなのか、困惑するところです。黙示録19:11~12には「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、『忠実また真実』と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。」とあって、同じ白い馬なのですが、この19章のほうは明らかにキリストであることは疑う余地がありません。次の第二の封印では、赤い馬が出て来て、殺し合い、戦争の悲劇が描写されます。第三の封印では、黒い馬が出てきます。厳しい制約された状況、飢饉を表現しているのでしょうか。第四の封印では、青ざめた馬が出てきます。それに乗っている者には死とハデスが付き従ったと言っています。疫病、戦争、飢饉などの影響のようです。第一から第四の封印は、時代的には、初代教会の直後からのことなのか、それとも、終末に現れる反キリストに関連することなのか、正直、分かりかねます。しかし、いずれにしろ、全知全能の真の主とイエス・キリストを信じ、従っている者にとっては、何も恐れることはありません。

2.第5の封印…小羊が第五の封印を解くと、殉教した人々のたましいが祭壇の下にいて、「いつまでさばきを行なわず、我々の血の復讐をなさらないのですか」と言うと、「あなたがたと同じように殉教する人の数が満ちるまで、もうしばらく休んでいなさい」と言われます。初代教会が始まったと同時に教会は迫害と殉教の歴史を通ってきました。現時点の日本では、実質的な迫害はほぼありませんが、Ⅱテモテ3:12には「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」とあるように、クリスチャンであるなら、多少なりとも、それぞれ何らかの経験はあるでしょう。しかし、ヨハネ9:4では「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。」とキリストが言われました。今は福音宣教の機会が開かれている霊的な昼間です。霊的な夜になる前に、私たちは恐れることなく、イエス様の福音を一人でも多くの人々に届けましょう。

3.第6の封印…第六の封印は天変地異です。太陽は黒くなり、月の全面は血のようになり、天の星が地上に落ちる時が来るのです。地上のあらゆる人々は、御座にある方と小羊の怒りに恐れおののくことになります。しかし、マタイ24:30~31には、天変地異のあとにキリストの再臨が加えられています。それは「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」です。正に考えられないようなことが起こるのです。聖書に書いてあることは、確実に実現していきます。私たちは、天地を創造した主と救い主イエス・キリストを信じ受け入れ、この最後の時に備えましょう。主の空中再臨に与り、選びの民として、天に携え挙げられることを待ち望みつつ、主の証人として、日々の生活に勤しんでまいりましょう。

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