●2024年9月1日(日)礼拝メッセージ要旨 

 

黙示録15:1~8からです。「モーセの歌と小羊の歌」という題でポイント3つ上げていきます。

1.神の激しい怒り…次の16章で、「神の激しい怒りの七つの鉢」の実行が記されます。その前の章である15章1節で、「神の激しい怒りがここに極まるのである」と表現しています。神の怒り、これは地上的な最後の神の裁きでしょう。聖書の神はこの世界を創造し、この地球に私たち人間を住まわせ、全てを統べ治めておられます。「創造主などいない」「人間は突然変異によって進化してきた」などと言って、創造主である真の神の存在を全く認めようとしません。そういう人々に対し、真の神はいつまでも裁きをしないでおくことはありません。ですから、私たち人間は、全知全能の真の神の存在を認め、この方を恐れ、この方が遣わして下さった救い主イエス・キリストを信じて従うべきなのです。

2.モーセの歌と小羊の歌…「モーセの歌」とは、エジプトで奴隷となっていたイスラエル人が、神に遣わされたモーセによって解放されたものの、紅海を前にして、エジプトの軍隊が後ろから追っかけてきたときのことです。神がモーセに「杖を上げて、手を海の上に伸ばし、海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ」と命じます。モーセがそのとおりにすると、奇跡が起こり、イスラエル人は海を進んで行きました。しかし、エジプト軍も同じようにして追っかけてきます。再び神がモーセに命じ、モーセが海に手を差しのべると、イスラエル人は海を渡り終えますが、エジプト軍は海が元に戻って全滅するのです。そのとき民は「モーセの歌」を歌って主を称えます。次に「小羊の歌」です。これは黙示録5章で、唯一、小羊(イエス様)が封印を解くのにふさわしい方であるということで、5:12で多くの御使いたちが「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」と称えています。「ほふられた小羊」とあります。天の真の神様は、奇跡をもって、エジプト軍からイスラエルの民を救い、また、小羊イエス・キリストを世に遣わし、私たちのために十字架によって罪の贖いを成し遂げられ、至れり尽くせりを行なってくださるのです。世の多くの人々は何を基準にして生きていますか。皆が行くところに、自分も行って安心を得ようとします。真の安心は、そこにはありません。マタイ7:13には「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。」とあります。正しく、真実な真の神の道は狭く見えますが、救い主イエス・キリストと共にあることが最高の安心です。

3.立ち上る煙で満たされ…天にあるあかしの幕屋の聖所が開き、その聖所から七つの災害を携えた七人の御使いが出てきました。そして四つの生き物の一つが、神の怒りの満ちた七つの金の鉢を七人の御使いに渡しました。そのとき、聖所は立ち上る煙で満たされ、七つの災害が終わるまで誰も聖所に入ることができませんでした。某県の某知事が部下にパワハラをしたということで、ニュースになっております。人間は元々欠けだらけの存在です。優秀だ、エリートだと言われ、ちやほやされて、自分が見えなくなり、やがて傲慢になって、謙虚さを忘れ、人としてあるべき姿からかけ離れてしまってはお粗末です。しかし、天の真の神様は同15:3に「あなたの道は正しく、真実です」とある通り、この正しく真実な方が激しくお怒りになると、その下に置かれた人間はどうすることもできません。ルカ23:34には「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。」とあるように、キリストは、ご自分を十字架につけ、その着物をくじ引きしているローマ兵のために執り成し祈られました。まして、今日、キリストは私たちのためにも執り成しておられます。主の御名を呼び求める者は誰でも救われます(ローマ10:13より)。イエス様の御名をいつも呼び求め、この方と共に歩んでまいりましょう。

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