黙示録18:1~24からです。大淫婦、大バビロンの滅亡についてポイント3つ上げていきます。
1.この女から離れなさい…もうひとりの強い御使いが、「倒れた。大バビロンが倒れた。~」と力強い声で言います。そして、4節では「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。」と言います。「この女から離れなさい」とは黙示録的な表現と言えます。「罪を犯してはなりません」という意味でしょう。6節では「あなたがたは、彼女が支払ったものをそのまま彼女に返し、彼女の行いに応じて二倍にして戻しなさい。」とあります。正確な意味は分かりかねますが、罪の清算のことを言っているのでしょうか。ルカ19章で、取税人のザアカイは、イエス・キリストを自宅に迎えて、「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。(ルカ19:8節)」と言います。すると、キリストは、「きょう、救いがこの家に来ました。(ルカ19:9)」と言われました。「この女から離れなさい」とは、罪との関係を断ち切るということです。
2.一瞬のうちに来た…先日は仙台市泉区松森と将監で落雷がありました。また、東京都ではゴルフボール大の雹が降ってきたとのことです。黙示録16:21では、「一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。」とあります。1タラントは35㎏ほどですから、こんな大きなものが天から降ってきたら大変です。大自然は、全知全能の真の神様が統べ治めておられます。全能の神様は、ノアの大洪水(創世記6~8章)が起きたときのように、正に突然に、一瞬のうちに事を行なうことがお出来になります。さて、大バビロンがなぜ一瞬のうちに倒れるのかというと、5節で「なぜなら、彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。」とあるように、神の忍耐が限界点に達したからです。Ⅱペテロ3:9には「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」とあります。見えるところ、どんなに栄華を極め、権勢を誇っていたとしても、真の神の前に不正を積み重ねて行けば、一瞬のうちに倒されてしまいます。しかし、「今は恵みの時、今は救いの日です。(Ⅱコリント6:2)」私たちが、真の神に立ち返るなら、神はいつでも一瞬のうちに、その人を赦し、神の民として受け入れてくださいます。キリストと共に十字架につけられていた二人の強盗のうちの一人は「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」というと、キリストは「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われました。
3.この都のことで喜びなさい…20節で「おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。」と言われています。これは御使いの言ったことばでしょう。聖徒たち、使徒たち、預言者たち、すなわちイエス・キリストを信じる信仰者たちは、大バビロンが倒れたことを「喜べ」と言われています。つまり、キリスト者は真の神の側に立ち続けるべきであるということです。23節には「ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術(Ⅱテサロニケ2:9~10参照)にだまされていたからだ。」とあります。「魔術にだまされていた」とありますが、最後のときは、偽物が滅び、本物が勝ち残るのです。勝ち残るのはイエス・キリストの父なる神様です。恰好とかパフォーマンスとかの外側の見てくれだけで判断せず、本物を見分ける目を持ち続けましょう。そのためには、聖書のみことばを毎日コツコツと読み続け、みことばを内に蓄えることです。