黙示録16:1~21からです。この章では七つの鉢が出てきます。ポイントを4(1+3)つ上げていきます。
1.七つのラッパと七つの鉢…黙示録8~9章、11章に七つのラッパが出てきます。一方、七つの鉢については、この16章に出てきます。筆者(私)が持っている(ニ、三冊の)聖書の解説書では七つのラッパと七つの鉢との関連について、ほぼ何も説明していません。黙示録を読んでいて混乱しない秘訣は「七つの封印と七つのラッパをベースとして位置づけ、それ以後の記事は補足説明として捉えること」ではないかと思っています。その捉え方の上に立って、七つ鉢について観察すると、七つのラッパと同一の事象を、ある別々の視点で表現しているのではないか、と受け止めます。その証拠として、第一から第七のラッパと鉢について、それぞれほぼ共通するキーワードがあります。第一のラッパと鉢=地、第二=海、第三=川、第四=天体、第五=苦痛、第六=軍勢、第七=成就、完成です。「ラッパ」と「鉢」、双方とも災いには違いありませんが、ラッパは音楽の楽器でもあります。勝利とか希望をイメージします。鉢は何かの入れ物がぶちまけられるということで、そこにあるのは破壊とさばきです。マタイ24:31には「人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」とあり、選びの民にとってラッパは救いの時でもあります。私たちは神の怒りの鉢をぶちまけられる側ではなく、ラッパの音とともに選びの民として天に携え挙げられる者でありたいと願います。
2.正しいさばき…七つのラッパのときには第1~5のラッパ=第一のわざわい、第6のラッパ=第二のわざわい、第7のラッパ=第三のわざわい、と三つに分類していました。それに倣い、この第二のポイントでは、第1~5の鉢をまとめていきます。第一の鉢は地にぶちまけます。第二は海に、第三は川に、第四は太陽に、第五は獣の座にぶちまけます。第三の鉢のとき、7節で、祭壇が「~あなたのさばきは、真実な正しいさばきです。」と言います。この世においては、例えば、独裁国家などでは正しい者が悪いとされ、悪者が正しいとされることが多いでしょう。民主国家と言われる国においても、怪しいときがあるでしょう。しかし、全知全能の聖なる創造主においては、全く誤りはなく、真実で、完全な正しいさばきが行われるのです。それでも、第四と第五の鉢のとき、人々は悔い改めず、神に対して汚しごとを言います。
3.ハルマゲドン…筆者は何年か前、BFPJの招待でイスラエル旅行を体験させていただきました。テルアビブに到着後、二日目にカイザリヤ、そのあとカルメル山に行きました。そのカルメル山に展望台のような場所があり、そこでガイドさんが南東方面のなだらかな平野を指さし、「あちらに見えるのがメギドです」と、そのようなことを言われ、いわゆる世界最終戦争が起こるハルマゲドンであると認識しました。黙示録9:16では「騎兵の軍勢の数は二億であった」とあります。戦争には「補給」も必要です。実際的に二億人分の補給が可能とは思えません。しかし、この黙示録16:13~14を見ますと、「三つの汚れた霊どもが出て来る」とあり、その背後に悪魔的な異様な力が働いているのです。しかし、心配には及びません。15節には「──見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである──」とあります。キリスト者は、霊の目をさまし、イエス・キリストをその身に着て、きよく生きることを求めましょう。
4.事は成就した…第七の御使いが鉢を空中にぶちまけると、御座から出た大きな声が「事は成就した」と言います。そして、同時なのか、直後なのか、稲妻と声と雷鳴があって、かつてなかったほどの非常に大きな強い地震が起きます。大地震が起きたとき稲妻も発生することがありますが、その関連性について科学的な解明はされていないようです。最近は、南海トラフ地震に警戒するようにと言われています。大地震が起きたときのために、備えておくということは良いことであり、悪くはありません。しかし、想定をはるかに超えた大地震が起きたならば、人間はどうすることも出来ません。ですから、地震に対して必要以上に警戒して生活するのではなく、もっと大事なことに目を向けることです。それは、「魂の救い」という、万全な備えをするのです。すなわち、イエス・キリストを信じ、バプテスマを受け、霊の目をさまし、聖い生き方を求め、みことばと祈りに励むことです。