創世記4:1~26の「カインとアベル」の記事から、「最上のささげもの」という題でポイントを3つ上げていきます。
1.「最上のささげもの」…アダムとエバがエデンの園を追い出されたとき、彼らには神から一定の祝福も与えられていたことでしょう。また罪ゆえの「のろい」の部分も引継いでしまいました。その「祝福」と「のろい」の両面がこの4章で表わされているのではないでしょうか。さて、ある時期になり、カインとアベルは主へのささげものをしました。まず、アベルのささげものに焦点を当てましょう。アベルは羊を飼う者となり、彼の羊の初子から、それも最上のものを持って来ました。これは何を意味しているのでしょうか。神に対する姿勢です。たぶん、アベルは両親から、彼らがなぜエデンの園を追い出されたのかを聞いていたに違いありません。アベルはその話を聞いて、「自分は神を恐れ、神第一の生き方をすべきである」と思ったことでしょう。今日、クリスチャンはキリストのしもべとしてふさわしく生きることが求められています。聖日の礼拝を尊び、聖書を読み、お祈りをする。そして証しの生活をし、アベルのように神へのささげものをする(マラキ3:10参照)のです。ヘブル人への手紙11:4です。「信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。」
2.「さすらい人カイン」…カインは、自分のささげものが神に目を留めてもらえなかったことに対して、ひどく怒り、顔を伏せました。主はカインに「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だがあなたはそれを治めるべきである」と言われます。今日、私たちの日常生活においても、これと似たような場面に時々遭遇するのではないでしょうか。例えば、誰かに侮辱されたとしましょう。怒りが燃え上がり、自分を侮辱した人に対して憎しみを抱くことでしょう。大抵はそこで終わります。しかし、カインは怒りをアベルに向け、彼を野に誘い出して殺してしまいます。結局、カインは人類史上最初の殺人者となり、さすらい人とされます。カインは自分に会う人が自分に危害を加えることを恐れ、神に保護を求めてそれが受け入れられ、一つのしるしが与えられます。その後、カインの六代目の子孫にレメクが生れます。なんと、レメクも一人の若者を殺害したようです。このカインの家系を見るとき、神への徹底した悔い改めが見られません。ただ、自分の命の保護を求めるだけで、真の神を自分の生活の中に受け入れ、神に従って行こうという姿勢が見られません。
3.「主の名によって祈ることを始めた」…この後、アダムとエバからセツが生れます。今日、地球上には約80億人が生存しています。その全員はセツの子孫です。セツに男の子、エノシュが生れたとき、人々は主の名によって祈ることを始めました。直訳では「主の御名を呼ぶことを始めた」です。カインのように神をないがしろにして生きるのではなく、主を求め、主を生活の第一に据えて生きるのです。先日某クリスチャンユーチューバーがジャッキー・ロビンソンのことを紹介していました。アメリカのMLBにはジャッキー・ロビンソンデーという日があります。なぜかしら、メジャーリーガー全員が42番の背番号のユニホーム着てプレーしています。ジャッキー・ロビンソン選手は1940~50年頃、黒人メジャーリーガーの先駆者となりました。彼がドジャースに入団するとき、オーナーのブランチ・リッキーと「やられてもやり返さない」という約束を交わしました。当時は人種差別が根強い時代で、黒人選手に対する仕打ちに対してロビンソン選手が仕返しをして、黒人選手がプレー出来なくならないようにするためです。オーナーのブランチ・リッキーもジャッキー・ロビンソンも共にクリスチャンで、彼らは聖書の教えに基づいて行動を始めたのです。今では、MLBには黒人選手が各チームの半数以上を占めているようにも見受けられます。そして、ロビンソン選手の功績を称え、2004年から毎年4月15日をジャッキー・ロビンソンデーとしています。イエス・キリストの父なる神を信じ、何をするにも主の名によって祈ることから始めてまいりましょう。