●2024年12月22日(日)クリスマス礼拝メッセージ要旨 

クリスマス礼拝ということで、最初にイエス・キリストの降誕にまつわる全体像、そしてルカ2:8~20から、主の使いが羊飼いたちに現れて語ったことばから、ポイントを3つあげていきます。

※キリスト降誕にまつわる全体像…まず、主の使いガブリエルがマリヤに現れ、乙女マリヤから聖霊によって救い主が生まれることが告げられます。後に、いいなづけのヨセフにも主の使いが現われ、そのことが告げられます。そして、ローマ皇帝アウグストの勅令によってマリヤとヨセフは住民登録のためにベツレヘムに行き、そこで救い主の降誕となります。主の使いが羊飼いたちに現われ、救い主が飼葉おけに寝ておられることを聞き、彼らは急いで見に行きます。その後、東方の博士たちが星に導かれ、黄金、乳香、没薬を携えて、救い主を礼拝に来ます。

1.「あなたがたのために救い主が生まれた」…ルカ2:11に「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」と、野宿で夜番している羊飼いたちに、主の使いが突然現れて告げます。今日(こんにち)も、イエス・キリストは、私たち一人一人のための救い主として世に来られたのです。先日、筆者は運転免許証の更新のために宮城県運転免許センターに行ってきました。運転免許更新というと、申請書の記入が面倒、待ち時間と講習が長い、そんなイメージがあります。しかし、今回、驚いたのは、今まで持っていた免許証を銀行のATMのような台に差し込むと、自動で記入済みの申請書が出て来るのです。それに係員の方々が、先回りして、皆が迷わないように親切にアドバイスしてくれるのです。今回私は講習が免除になっていたので、なんと免許更新の全所要時間は30分弱で、免許更新でこれほど感服したのは初めてです。このことも一種の「救い」ですが、イエス・キリストによる救いは、罪と死からの救いであって、神の子とされ、永遠の祝福を完全な形で受けるという何にも代えがたいものです。

2.「あなたがたのためのしるしです」…主の使いは、羊飼いたちに「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。(ルカ2:12)」と言います。私たちの生涯においても何らかの「しるし」となるようなことがあって、それが転機となって進むべき方向性が変わったというようなことがあるのではないでしょうか。羊飼いたちに主の使いが現われたことだけでも大きなしるしですが、救い主を探す「しるし」は「飼葉おけに寝ておられるみどりご」だったのです。今日、私たちに与えられている救い主のしるしとは何でしょうか。それは「十字架」です。Ⅰコリント1:18には「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」とあります。十字架のことばに救いがあり、力があり、救いのしるしでもあります。

3.「地の上に平和があるように」…ルカ2:14で、多くの天の軍勢が現われ「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」と全知全能の神を賛美します。その平和とは「戦争と平和」の平和でもありますが、「御心にかなう人々にあるように」とありますので、それらの人々の心の中に平和、すなわち「平安」があるようにということです。この世においては、一時的な平安とか安楽を提供するものがありますが、まやかしの平安に惑わされてはなりません。本当の永遠に至る平安を得るにはイエス・キリストの救い以外にありません。使徒の働き4:12には「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」とあります。ヨハネ14:6でキリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われました。私たちは、この方によって救いを受け、平安をいただき、また、その平安が脅かされないように聖書のみことばから教えられ、熱心に祈りに励みましょう。

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