創世記8:1~22から、「箱舟はアララテの山の上にとどまった」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「主はノアたちを心に留めておられた」…大雨は40日40夜降り続いて、150日間にわたって、地に大水がふえ続きました。創世記6:18で全能の主は、ノアと契約を結んでいます。それは、「ノアが主の言われた通りに箱舟を造って、それに入るなら救われる」ということです。ここで、少し考えてみましょう。「安心と不安」です。確かに、箱舟に乗っていれば安心ですが、地球規模の大洪水で浮かび上がった箱舟は長さ135mもあるとは言え、木の葉のようなもので激しい揺れや大きな音に脅かされていたことでしょう。今日(こんにち)、イエス・キリストを信じるクリスチャンは箱舟の中にはいませんが、霊的な意味で、キリストによる救いの箱舟の中にいます。キリストにある永遠のいのちを受けた者は安心の中にあります。しかし、そうかと言って、不安ゼロと言ったら嘘になるでしょう。この世に生きている限りは様々なプレッシャーがあります。マルコ5章には、12年間長血を患った女性がキリストの着物に触って癒された記事があります。病が直った彼女にキリストは「あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われました。また、そのあとすぐ、会堂管理者ヤイロの娘が死から生き返った記事があります。自宅に向かう途中で自分の娘が死んだという知らせを聞いたヤイロに対してキリストは「恐れないで、ただ信じていなさい。」と言われています。全知全能の主は、箱舟に乗ったノアたちを心に留めておられました。今日、主は私たちに対しても心に留めておられます。私たちも、イエス・キリストに信頼し、恐れず、信じ続けていきましょう。
2.「箱舟はアララテの山の上にとどまった」…このノアの大洪水の全容を見ましょう。まず、ノアの600年第二の月の17日に天の水門が開かれ大雨が降り始めます。その後、水は地にふえつづけていくのですが、水門は閉ざされ、主が風を吹きつけて水が引き始めます。第七の月の17日に箱舟はアララテの山の上にとどまります。そして、ノアの601年の第二の月の27日に地はかわききり、ノアたちは箱舟を出ます。但し、ここで言っている月というのは、ユダヤ暦であって、第二の月は太陽暦の5月頃、第七の月は10月頃で、季節的には行動しやすい時期で、そこに主の御配慮も感じます。さて、ターニングポイントと言いましょうか、V字回復と言いましょうか、一つの大きな起点となったのは、箱舟がアララテの山の上にとどまったことではないでしょうか。水の上を浮遊していた箱舟がようやく安定した地の上にとどまったのですから、ノアたちはどれほど安心したことでしょう。水もどんどん引き始め、大きな希望を持ったことでしょう。
3.「全焼のいけにえをささげた」…第七の月の17日に箱舟がアララテの山の上にとどまってから、第十の月の1日に山の頂が現われ、その後、第12の月の10日になってから、ノアはカラス、そして鳩を放つものの帰ってきます。その7日後、第12の月の17日に鳩を放つとオリーブの葉を加えて来ます。さらに7日待って、第12の月の14日に鳩を放つと、鳩はもう帰ってこなかったのでした。ノアは主に促されて動物たちと共に、いよいよ箱舟を出ます。そして、ノアはまず、主のために祭壇を築き、きよい家畜ときよい鳥のうちから、いくつかを選び取って祭壇の上で全焼のいけにえをささげます。ローマ12:1には「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」とあります。ノアは、そのいけにえを通して、自分自身を主にささげ、神の国とその義を第一(マタイ6:33)にして歩んで行こうという姿勢を表したのです。もちろん、今の時代はいけにえは不要です。神の小羊であるイエス・キリストが十字架で尊い代価を支払ってくださいました。ですから、私たちは、このキリストのゆえに全能の主に祈り、自分自身を主にささげ、神第一の日々を過ごしてまいりましょう。