創世記10:1~32からです。最初にヤペテの子孫、次にハムの子孫、最後にセムの子孫という順に記されています。この当時は、正に、大洪水以後の世界史草創期で、人の名がそのまま地名になるという傾向があります。比較的乏しいデータではありますが、ヤペテの子孫は海沿いの地域、現在のヨーロッパ方面に移動したようです。ハムの子孫は南下し、現在のパレスチナ、北東アフリカ方面に移動したようです。そして、セムの子孫はチグリス、ユーフラテスの流域地域から東の方に移動したようです。この10章では、「力ある猟師ニムロデ」という題で、ポイント3つ上げていきます。
1.「力ある猟師ニムロデ」…ハムの子孫は、クシュ、ミツライム、プテ、カナンです。地上で最初の権力者となったニムロデはクシュの子です。9節で「彼は主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになりました。「主のおかげで」は、新改訳聖書2017年訳では「主の前に」となっています。いずれにしても、ニムロデは自分の力ではなく、全能の神である主(ヤハウェ)の力によって権力者として立てられたのです。ここに、この第一ポイントでのメッセージがあります。今日、私たちには誰でも「願い」があります。しかし、その願いが何でも実現するわけではありません。全能の神のみこころならば実現するでしょう。また、ここに私たちの「忍耐」が必要とされるところです。Ⅰヨハネ5:14には「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」とあります。真の神は、私たちにとって最善を成してくださるお方です。私たちの願いは願いとして祈り続けましょう。でも、その中で、主の時を待ち望みつつ、主を信頼して、主にお委ねするという姿勢が成熟した信仰者のあり方と言えます。
2.「カナン人」…カナンは前章の9章でカナンの父ハムのゆえに祖父ノアから預言的に「のろわれよカナン」と言われています。もしかして、カナン個人に何かの問題があったのかもしれません。さて、カナンは人名で、後に地名にもなったのですが、地名としての「カナン」は両極端のイメージがあります。それはアブラハム、また出エジプトしたイスラエル人にとっては希望の地、約束の地でもありました。一方、そこはカナン人が住む所で、神の民にとっては物理的にも霊的にも戦いの場でもありました。後のエルサレムであるエブス人の地、また天から硫黄の火が降ったソドムとゴモラもあります。一方でエルサレム、一方はソドムとゴモラです。アブラハムもイスラエル人も、そこでは戦いがありました。それは、今日の私たちも同じです。ルカ13:24には「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」とあります。その「努力して」のギリシャ語原語はΑγωνιζομαι アゴーニゾマイで「苦闘する、奮闘する」という意味があります。確かに、この世においては様々な戦いがあります。その戦いを主の御名により、みことばと祈りによって戦いぬいていきましょう。
3.「セムの子孫」…セムの子孫は、エラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラムです。そのうち、後のアブラハム、ダビデの先祖となるのがアルパクシャデです。アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生みます。そして、エベルにペレグが生まれ、ペレグの時代に地が分けられます。これは物理現象のことを言っているのかもしれませんが、次の11章で記されているように「人々が全地に散らされること」を意味しているのでしょう。そして、最後の32節では「以上が、その国々にいるノアの子孫の諸氏族の家系である」とまとめています。振り返ってみれば、この10章の人々は全員、正しい人、全き人であった(創世記6:9)ノアの子孫なのです。しかし、進む方向は様々です。もちろん、今日の私たちもノアの子孫です。Ⅱコリント4:18には「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」とあります。この世の富、権力、名声などの見えるものではなく、いつまでも続く見えないものにこそ目を留めてまいりましょう。