創世記9:1~29から、「わたしの虹を立てる」という題で、ポイント3つ上げていきます。
1.「血の価」…創造主は「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」と、箱舟によって生き残った人と生き物たちを祝福して仰せられました。また、人に対しては、食物に関して「血のあるまま食べてはいけない」という特別な警告を発しています。レビ記17:14には「すべての肉のいのちは、その血が、そのいのちそのものである。それゆえ、わたしはイスラエル人に言っている。『あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべての肉のいのちは、その血そのものであるからだ。それを食べる者はだれでも断ち切られなければならない。』」とあります。理屈というよりも、全能の聖なる神の掟として受けとめ、それを守って神を恐れる生き方をすることが賢明です。もう一点、5節で「あなたがたのいのちのためには血の価を要求する」ということです。ヘブル9:22には「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」とありますが、私たちは、十字架の上で御血を流され、贖いのわざを完成してくださっている救い主イエス・キリストを信じ受け入れ、まことのいのち、永遠のいのちを受けようではありませんか。
2.「わたしの虹を立てる」…この世界の様々な現象、月、星、太陽、そしてこの地球上の人や生き物など、その存在だけでも不思議です。そして、「虹」も不思議です。インターネットで検索して「虹はどうやって出来るのか」という記事などを読んでも、すんなりと理解は出来ません。ただ、地球規模の大洪水を経験したノアとその家族にとって、箱舟の体験は、大いなる救いの体験でもありましたが、同時に恐怖の体験でもあったことでしょう。ですから、その後、大雨が降る時、またあの大洪水になるのではないかという危機感が付きまとうでしょう。ですから、主は、それを見越して、虹を立て、「もう大洪水は起こさない」という契約のしるしとされたのです。そして、その、およそ2300年後のこと、イエス・キリストは最後の晩餐で弟子たちに新しい契約を結びました。ルカ22:20で「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」と言われました。今日、教会の象徴ともなっている十字架は、キリストの新しい契約のしるしと言えるでしょう。
3.「人をそしってはいけない」…ノアは箱舟を出たあと、ぶどう畑を作り始めた農夫でした。また、当時、ぶどう酒も作っていたのでしょう。あるとき、ノアはそのぶどう酒を飲んで酔っ払い、天幕の中で裸でした。それを息子のハムが見て、兄弟たちに告げました。それを聞いたセムとヤペテは、父の裸を見ないようにして、後ろ向きで近づき父の裸を着物で覆ったのでした。酔いから醒めたノアは、その一部始終を知って、「のろわれよカナン」と言い、セムとヤペテを祝福しました。エペソ5:18には「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」とあります。お酒には気を付けましょう。最初から「飲まない」と決めるのがベストかと思います。さて、この記事の焦点は、カナンの父・ハムの対応です。父親の失敗をフォローするどころか、外に拡散してしまいました。これは、親子の関係のみならず、私たちは、誰に対しても、その人の益を計り、その人の助けとなることを志すべきです。人は神のかたちに造られています。その、人を敬い、互いに助け合うことは、神を恐れて生きるということでもあります。詩篇15:1~3には「【主】よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行わず、隣人への非難を口にしない。」とあります。この2025年の最初にあたり、私たちは、真の神と共に歩み、正しく、義を行ない、真実を語る者でありましょう。そして、人をそしらないように気を付けましょう。