創世記13:1~18からです。振り返りますと、最初アブラムはハランから、次にシェケム、ベテル、ネゲブ、そしてエジプトへ、そこからネゲブ、そしてベテルに戻ってきます。この章では最後にヘブロンに来ます。今回もここからポイント3つ上げていきます。
1.「主のみ名によって祈った」…エジプトを出たアブラムは以前に滞在していたベテルに来て、かつて自分が祭壇を築いた同じ場所で主のみ名によって祈ります。「祭壇を築いて主のみ名によって祈る」とは、罪のためのいけにえをささげて礼拝するということです。こんにち、クリスチャンはいけにえをささげることはしません。それは、聖なる神の御子イエス・キリストが世に遣わされ、信じる者の罪のために自らいけにえとなられ、救いのわざを成し遂げられたからです。アブラムが「主のみ名によって祈った」というのは、ただ形式的なことではなく、全能の主を第一にして、主のみこころに従っていくことです。それは、こんにちのクリスチャンも同じです。目の先の欲得によって、事を決めるのではなく、聖書のみことばを土台とし、神のみこころに聞き従うのです。
2.「アブラムとロト」…アブラムは非常に富んでいました。ロトもその恩恵に与ったのでしょう。彼もそれなりに羊の群れ、牛の群を所有していました。ですから、アブラムとロトのそれぞれの持ち物が多くて、彼らの家畜の牧者たちの間に争いが起こりました。それで、アブラムはロトに「私と別れてくれ。あなたが右に行けば私は左に。あなたが左に行けば私は右に。」と言います。それでロトはヨルダンの低地、ソドムの近くに移動します。ここから2つのことを学べるでしょう。1つは、何でも一緒に行動すれば良いというものではなく、発展的な別行動もあるということです。もう一つは、ロトの態度です。聖書の記事を見る限りにおいては、それまで世話になったはずのアブラムに対して、ロトは自分本位に見えます。本来なら「あなたが右なら私が左に~」というセリフをロトが言うべきでしょう。その後、ロトは創世記14章では、ケドルラオメルという王たちに捕らえられ、財産も奪われています。19章では、ソドムとゴモラに天からの硫黄の火が降ってきて、散々な目に遭っています。やはり、私たちも、この地上において、主にあって誰に対しても親切と善意と誠実であるべきでしょう。
3.「この地を全部、永久に与えよう」…主は、アブラムが東西南北を見渡しているところを、あなたとあなたの子孫とに「全部、永久に与えよう」と言われています。実際的にはどうだったのでしょう。アブラムの孫ヤコブ(イスラエル)のとき、彼の息子ヨセフのゆえにイスラエル人はエジプトに行き、そこで400年ほど滞在しています。そののち、モーセの時代に出エジプトをして、ヨシュアのときにカナンの地を征服しています。しかし、その後は不安定な士師記の時代を過ぎ、サムエルの時代にサウルによって国の形が出来ます。そして、ダビデ、ソロモンの時代にカナンの地はイスラエルによってほぼ制圧されました。しかし、その後、ソロモンの罪ゆえに国が二つに分裂してしまいます。後に北イスラエルはアッシリヤに、南ユダはバビロンに滅ぼされます。その後、バビロンはペルシャに滅ぼされ、クロス王によって、ユダの捕囚民は再びエルサレムに帰還して神殿と城壁を建て直します。それからローマ時代に入り、聖なる神の御ひとり子イエス・キリストが世に来られ、十字架と復活の救いが完成して、キリストの福音が全世界に宣べ伝えられます。その後、AD70年にユダヤ戦争によってローマに敗北したユダヤ人は世界中に離散します。そして、1948年、カナンの地にイスラエルは再建を果します。しかし、こんにち、イスラエルは周辺諸国との争いが絶えず、先の「全部、永久に与えよう」という主のことばは実現していないように思えます。但し、この後、イエス・キリストが再臨し、イスラエルが主に立ち返ったときに、イスラエルは救われ(ローマ11:25~26参照)、この第三ポイントの冒頭のことばが完全に成就することになると思われます。