創世記23:1~20からです。「マクペラのほら穴」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「サラの一生は127年であった」…創世記6:3で主は「人の齢は120年にしよう」と言われています。また、詩篇90:10では「私たちの齢は70年。健やかであっても80年。」とあります。アブラハムの妻サラの一生は127年だったということですが、ノアの大洪水以前の最高齢者はメトシェラで969才です。創世記6~8章の大洪水のあと、地球環境が変化し、人間の寿命に大きな影響を与えるようになったと思われます。そのために、大洪水以後の人間の寿命が急激に短くなっています。昨今、日本人の平均寿命は世界的にも恵まれていて、男性81才くらい、女性が87才くらいです。世界最高齢者は現在日本人女性のようですが116才くらいです。ですから、人間の寿命に関しては、ほぼ聖書通りであると言えるでしょう。アブラハムの一生は創世記25:7で175才です。大洪水以前の長寿の余韻があって、そのためアブラハムもサラも長寿だったと思われます。さて、そのサラですが、ヘブル11:11で「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。」と、その信仰姿勢が評価されています。ところが、そのサラの行状を顧みるとき、自分の女奴隷ハガルをいじめたり、ハガル親子を追い出すよう夫に告げたりしています。しかし、たといそうであっても、サラはアブラハムとともに神に選ばれた神の器であることに違いありません。今日、イエス・キリストによって選ばれ、救いを受けた私たちも、何も立派ではなく、不完全な者であることを自分自身が一番よく知っています。それでも、神の大きな恵みを受けているのです。
2.「マクペラのほら穴」…アブラハムは妻の死を悲しんでいたのですが、ふと、死体を葬るということに心を向けます。そこで、ヘテ人エフロンの所有の畑地とその端にあるマクペラの洞穴を取得します。死者本人にとって大事なことは、墓よりも、たましいの行き先です。聖なる神の前に悔い改め、イエス・キリストの十字架の救いを信じ受け入れて、永遠の天の御国に入る備えをしましょう。但し、死者本人の遺族は、遺体を葬らなければなりません。その意味では墓を何らかの形で確保する必要があります。さて、ここのところで、アブラハムが墓地確保の願いをヘテ人たちに申し出ると、彼らは「あなたは神の司です」と言って、快くその申し出を受け入れます。それだけ、アブラハムは異教の世界の中にあっても、神を証ししつつ、謙遜に人々と和合して暮らしていたのでしょう。当時のアブラハムと今日の日本のクリスチャンたちと重なるところがあるのではないでしょうか。アブラハムのように、私たちも、イエス・キリストの父なる神を証ししながらも、回りの人々と協調しながら暮らしていきたいと思います。
3.「銀400シェケルの土地」…土地の所有者エフロンは畑とそこにある洞穴を無償で譲ってくれると言っていますが、アブラハムとしては代価を払い、ヘテ人たちが見ている前で所有権移転が行われたことの確かな形を取っておくべきだと考えたのでしょう。「通り相場で銀400シェケル」とありますから、まあ、普通に誰もが納得する金額だったのでしょう。ところで、イスカリオテ・ユダはイエス様を裏切って、祭司長たちに銀貨30枚で売りました。しかし、彼はその後、後悔し、銀貨を神殿に投げ込んで自害しました。祭司長たちは、その金を神殿に納めるのは良くないということで、陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地としました。今週はイースターの前の受難週でもあります。詩篇49:7~8には「人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない。たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない」とあります。聖なる神のひとり子イエス・キリストは、十字架の尊い御血によって、私たちの罪の贖いの代価を支払って下さったのです。確かに墓地も大事ですが、それよりもはるかに大事で、しかも永久にあきらめなくてはならないほど高価な、たましいの贖い代をイエス・キリストが十字架の救いによって支払って下さったのです。