●2025年4月27日(日)礼拝メッセージ要旨 

創世記24章はイサクが結婚する箇所です。長い章ですので2回に分け、今回は、その前半創世記24:1~32から、「イサクのために妻を迎えなさい」という題でポイント3つあげていきます。

1.「アブラハムと最年長のしもべ」…アブラハムは年を重ねているものの、あらゆる面で主の祝福を受けていました。Ⅲヨハネ2節には「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」とあります。この箇所は「三拍子の祝福」とも言われています。たましいの幸い、全ての面での幸い、そして健康です。でも、やはり一番は、たましいの幸いです。ただ、アブラハムにとって、気がかりだったのは息子イサクの妻が決まっていなかったことでしょう。そこで、一番信頼のおける最年長のしもべを立て、自分の生まれ故郷からイサクの妻となる女性を連れてくるようにという任務を託します。アブラハムはそのしもべの手を自分のももの下に入れさせ、その任務遂行のために誓いをさせています。それだけ切実だったということがうかがえます。旧約聖書では、「誓い」の場面が度々出てきます。しかし、新約聖書では「誓い」をすることは、マタイ5:34~37やヤコブ5:12などで肯定していません。もちろん、人生の中では、例えば「結婚の誓い」など、重いものもありますが、最も大切な誓いはイエス・キリストを信じる信仰を公に表わすバプテスマでしょう。「バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。(Ⅰペテロ3:21b)」

2.「アラム・ナハライムのナホルの町へ」…アブラハムのしもべは、主人から貴重な品々を預かり、らくだ10頭を取って出かけました。たぶん、らくだの数と同じ10人くらいの従者たちも同行したのでしょう。アラム・ナハライムのナホルの町に着いて、夕暮れ時、水汲み場で、に「自分が水を求めたときに『どうぞお飲みください。らくだにも水を汲んであげましょう』と言ったなら、その人こそ、主人の息子のために定められた妻でありますように」と祈りました。その祈りが終わらないうちに、リベカが現われ、その祈った通りに導かれたのです。先月3月28日にミャンマーでマグニチュード7.7の大きな地震がありました。ミャンマー宣教師のI氏は、久々にミャンマーに行く予定でしたが、ちょうど出発10日前に、その大地震があったのです。しかしI氏は、「恐れていては何もできない。地震前から訪問すると決めていたし、こんな時だからこそ行く意味がある」と、ミャンマー行きを表明したところ、多額の支援金が集まったとのこと。そして、この4月7~18日までミャンマーに行くと、大変な現地の状況にもかかわらず、不思議と目的の地に行くことが出来、現地の牧師さんに義援金を渡し、「こんな大変なときによく来てくれた」と非常に喜ばれ、I氏も「本当に行って良かった」とのことでした。見えるところは困難でも、主の導きの中で行動するとき、そこには主の大きな祝福があります。

3.「リベカとラバン」…アブラハムのしもべが、リベカに金の飾り輪と腕輪を渡し、「あなたはどなたの娘さんですか。私どもが泊めていただく場所はありますか。」と聞くと、リベカはそれに答えてから、自分の家に知らせに行きます。すると、すぐにリベカの兄ラバンがやって来て、アブラハムのしもべたち一行を案内するのです。このラバンは、こののち、イサクとリベカが結婚してヤコブとエサウが生まれ、ヤコブとエサウが対立し、ヤコブがラバンの家に来て、ラバンの娘ラケルを愛し、結婚しますが、初夜の翌朝、気が付くと隣に寝ていたのはラケルの姉レアでした。それはラバンの仕業でした。ラバンは機転が利く反面、若干の狡猾さも垣間見えます。ヤコブ3:13には「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。」とあります。また17節には「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」とあります。上からの知恵である柔和、純真、平和、寛容、温順によって行動し、主の祝福のうちを歩んでまいりましょう。

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