●2025年5月18日(日)礼拝メッセージ要旨 

創世記25章19~34節からです。「ヤコブとエサウ」という題で、ポイント3つ上げていきます。

1.「イサクとリベカの信仰」…イサクはリベカと結婚し、20年ほど経過するのですが、妻リベカが不妊の女性であるということを認識します。そこでイサクは妻のために主に祈願すると、主は彼の祈りに応えてくださり、リベカは身ごもります。イサクの父母はアブラハムとサラです。イサクには異母兄弟のイシュマエルの存在があります。イサクはそのあたりの経緯については父母から聞いて知っていたことでしょう。つまり、イサクは父母たちと同じ轍を踏まなかったということです。一方、子を身ごもったリベカですが、お腹の子たちが中でぶつかり合います。リベカは「こんなことで私はいったいどうなるでしょう」と言っています。たぶん、お腹の子の動きが通常と異なり、彼女としては不安だったと思われます。そこでリベカも主に祈ると、主は彼女に応えて「二つの国があなたの体内にあり~」と言われます。リベカとしては「なるほど、そういうことだったのか」と納得し、安心したことでしょう。イサクもリベカも「問題が起きたとき祈る」という最善の方法を選択したのではないでしょうか。

2.「ヤコブとエサウ」…時が満ち、リベカが出産します。最初に出てきた子は赤くて全身毛衣のようでエサウと名付けられました。弟の方は、兄の踵(かかと)をつかんで出てきたゆえにヤコブと名付けられます。ヤコブは、この後、主によってイスラエルと改名させられ、イスラエル人の祖先となります。エサウは「赤い」ということからエドムと呼ばれ、エドム人の祖先となります。オバデヤ書には、このエドム人のことが記され、イスラエルに敵対する国として、主からのさばきを宣告されています。ところで、父イサクは、エサウが巧みな猟師で、彼が仕留めて来る獲物を好んでいたのでエサウを愛していました。母リベカはヤコブを愛していました。人それぞれ好みというものがあり、一つの物事に対する感じ方も違うものです。自分と違うからと言って、無闇に相手を批判したり、見下げたりということは正しくありません。ローマ12:10には「 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」とあります。

3.「長子の権利」…ヤコブがレンズ豆の煮ものを煮ているときに、エサウが飢え疲れて帰ってきました。「その赤いのを食べさせてくれ」とヤコブに言うと、ヤコブは「長子の権利を私に売りなさい」と言います。エサウは煮物が欲しくて長子の権利を軽んじます。そのことがヘブル12:16で「また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。」と表現されています。アブラハムからイサクに受け継がれ、イサクから受け継がれようとしている長子の権利とは、単に世の財産だけではなく、信仰的、霊的な祝福が伴うものです。ヤコブは、永遠につながる祝福に目を留めていたのです。その意味で、今日、私たちも、この世の物的な消えて無くなってしまうものにではなく、真に価値あるものに目を留め、そこに焦点を当てた生き方が求められているかと思います。ヤコブ(押しのける者)は、イスラエル(神は争われる、神の王子となる)になりました。このイスラエル人のユダ族の出であるダビデ王の子孫として世に現れたのが聖なる神の御ひとり子イエス・キリストです。この方の十字架の救いによって、信じる者は罪赦され、永遠のいのちを受け継ぐのです。ヨハネ1:12には「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」とあります。イエス様を信じる信仰によって、ヤコブがイスラエル(神の王子)とされたように、神の子とされる特権が与えられるのです。

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