創世記26章17~35節からです。「レホボテと呼んだ」という題で、ポイント3つ上げていきます。
1.「レホボテと呼んだ」…イサクは、地に種を蒔けば百倍の収穫があるし、何をしても栄えて非常に豊かになっていくので、ペリシテ人から妬まれ、アビメレク王からは「我々の所から出て行ってくれ」と言われ、ゲラルの谷間に天幕を張って住みます。しかし、そこでも二度にわたって井戸をふさがれます。それでイサクは三度目の正直ではありませんが、三度目の場所に移ります。そこでは争いがなく、そこをレホボテ(広い所)と呼びました。そしてイサクは「今や、主は私たちに広い所を与えて私たちがこの地で増えるようにしてくださった。」と言いました。2005年10月から2011年3月11日まで、私たちの教会は宮城野区蒲生にありました。近所に私たちに対して非常に協力的なOさんがいました。教会建物の東側に40坪ほどのOさん所有の土地があり、そこを畑として私たちに貸してくれました。あるとき広い駐車場を利用して屋外コンサートをすることになりました。Oさんは舞台設定まで協力してくれました。あいにく、雨が降って屋内でのコンサートになりましたが、Oさんらの協力で、満杯の人が集まりました。その後でしたか、詳しく覚えていませんが、Oさんを含めて教会の東側の方たちの家に下水が通っていないということで、教会の敷地を通過させて欲しいという話がありました。もちろん承諾し、関係者の方々には多少なりとも協力することができました。尤も、その後3.11大震災があって、協力できたのはわずかの期間でした。ローマ12:17~18です。「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」
2.「主の御名によって祈った」…イサクは、そこからベエル・シェバに上りました。主は、その夜、彼に現われ、「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」と言われました。それで、イサクは祭だんを築き、主の御名によって祈ります。要約すると、「①恐れるな。②主が共にある。」です。今日、イエス・キリストを信じる者には、その名はインマヌエルと呼ばれるイエス様、つまり聖霊様がともにおられます。イエス様はマタイ28:20で弟子たちに「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と言われました。それはもちろん、今日のキリスト者にも言っておられるでしょう。来週はペンテコステ記念日です。クリスマス、イースター、ペンテコステ、この三つの祭典は、旧約時代の仮庵の祭り、過ぎ越しの祭り、七週の祭りと関連があり、どれも欠かすことはできません。ローマ10:13には「主の」御名を呼び求める者はだれでも救われる」とあります。私たちもイサクのように主の御名によって祈りましょう。すべては祈りから始まって行くのです。
3.「主が共におられることをはっきり見た」…そのころ、アビメレクが友人アフザテと、その将軍ピコルを伴い、イサクのところに来ました。イサクとしては、それまで散々、井戸のことなどで彼らに妨害されていますから、「今度は何しに来た?」という心境だったでしょう。しかし、彼らは、イサクとともに主が働かれていることをはっきりと見て、イサクを恐れ、平和条約を結びに来たのです。イサクは、あっさり彼らの願いを受け入れ、彼らのために宴会を催し、その翌朝に契約し、平和のうち散会します。その日、イサクのしもべたちが帰ってきて、井戸を掘りあてたという報告をします。そこでその井戸をシブア(誓い)と言い、その場所をベエル・シェバ(誓いの井戸、七つの井戸)と呼びます。そういった祝福に満ち満ちたイサクですが、息子のエサウがヘテ人の妻たち二人をめとり、イサクとリベカにとっては、彼女たちが悩みの種となります。いつの時代であっても、悩みの無い人などこの世にいないでしょう。だからこそ、私たちは、主により頼み、へりくだってお祈りするのです。「【主】を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。【主】に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。(イザヤ55:6~7)」