創世記30:1~43からです。この章はラケルとレアが、夫のヤコブの子が生まれることを巡っての競い合いと、ヤコブが自分の故郷に帰りたい旨をラバンに伝え、その後の展開が記されています。ポイント3つ上げていきます。
1.「姉を嫉妬したラケル」…姉のレアに4人の男子が生まれ、主を称えている様子に、面白くないのは妹のラケルです。元々、ヤコブが結婚したかったのはラケルです。そこでラケルは彼女の女奴隷のビルハをヤコブに妻として与え、ダンとナフタリが生まれます。それでラケルは一定の満足感を得ます。すると今度はレアが面白くありません。レアも自分の女奴隷ジルパをヤコブに妻として与え、ガドとアシェルが生まれ、それを喜びます。そして、レアの長男ルベンが野で恋なすびをレアのところに持って来ると、ラケルがそれを譲ってくれと言います。レアは拒否するものの、ラケルが恋なすびと引き換えに「今夜、あの人があなたと寝ればいいでしょう」と言います。それで、レアはイッサカルとゼブルン、さらに女の子のディナが生まれます。ここで、第一のポイントをまとめます。聖書は、事実をありのまま忖度なしに記しています。もちろん、四人の妻を持つことを肯定しているのではありません。むしろ、家庭内に嫉妬や対抗心、そのほか複雑な感情が入り乱れることでしょう。それでも、そこに神のあわれみがあり、後のイスラエル12部族が完成されようとしています。
2.「神はラケルを覚えておられた」…この時点で、ヤコブの四人の妻うち、三人のレア、ビルハ、ジルパが合わせて10人の男子と一人の女子が生まれています。ラケルだけは子が生まれていません。しかし、神はラケルを覚えておられ、彼女の願いを聞き入れて、ヨセフが生まれます。その後、創世記35:18でラケルはベニヤミンを産んだときに死んでしまいます。さらにその後のことですが、ヤコブはヨセフを溺愛するので、兄たちはヨセフを憎みます。ヨセフもまだ少年で、自分が崇められるというような夢をみて、そのまま兄たちに話し、さらに憎しみを増幅させます。そのためヨセフは兄たちによって、エジプトへ向かう隊商に奴隷として売られます。しかし、この創世記の終盤では、ヨセフはエジプトで総理大臣のような立場に就き、創世記の最後はヨセフの死をもって幕を閉じます。そして、時代が進み、ダビデ王、ソロモン王時代のあと、イスラエルは国が南北に分裂します。本家本元のダビデ王家が属するユダ部族とベニヤミン部族の二部族の南ユダ王国と、その他10部族で成る北イスラエル王国です。愛されなかったレアには男子6人と女子1人が生まれ、子が生まれなかったラケルにもようやくヨセフが生まれ、ヨセフはこの世的には大成功者となります。その一方で、神はベニヤミンを覚えておられ、ダビデ王家が出るレアから生まれたユダのユダ族と連帯を組むのは、ラケルから生まれたベニヤミンのベニヤミン族です。詩篇103:8には「【主】は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。」とあります。主の深い見計らいを感じます。
3.「私の故郷の地へ帰らせてください」…ラケルにヨセフが生まれたとき、ヤコブとしては次のステージに進む足場が整ったような感覚になったのかと思われます。義父ラバンに「私を故郷の地へ帰らせてください」と言います。ラバンは、ヤコブが来てから、自分の家畜が格段に増え、ヤコブのゆえに祝福を受けたことを知っていました。ですから、ヤコブの申し出を聞いて複雑な思いがしたことでしょう。ラバンはヤコブに「報酬を支払うので言ってくれ」と言います。ヤコブは、後々明確にさせるため、山羊の中でぶち毛とまだら毛のもの全部、羊の中で黒色のもの全部を報酬として求めます。そしてヤコブは、自分の群が強くて増えるような工作を施し、結果的に彼は大いに富み、男女の奴隷、およびラクダとロバを持つようになりました。もちろん、ヤコブはアブラハムの祝福をイサク経由で受けていますから、何をしても栄えたことでしょう。ガラテヤ3:7には「ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。」とあります。今日、イエス・キリストを信じるクリスチャンはアブラハムの祝福を受けています。信仰の人として信仰の告白をもって歩んでまいりましょう。