創世記44:1~34からです。ヨセフの兄たちは、二度目のエジプト行きを順調に進めます。穀物を買い、監禁されていたシメオンと一番下の弟ベニヤミンも伴い、父イスラエルの元へ帰るだけです。しかし、ヨセフは一つの仕掛けを施し、彼らをエジプトに戻らせます。ここから、ヨセフ、ヤコブ、ユダの三人の名を上げて、三つのポイントとします。
1.「ヨセフの思惑と仕掛け」…兄たちとしては、穀物を買い、シメオンとベニヤミンを伴い、あとは父イスラエルの喜ぶ顔を見るだけです。しかし、ヨセフとしては「はい、それまで。」というわけにはいきません。かつて、異母兄弟である兄たちには殺されそうになり、穴に投げ込まれ、そして奴隷として売られ、あるときまでエジプトで奴隷として人に仕えてきました。もちろん、ヨセフはただ単に復讐心で行動していたのではないでしょう。兄たちの心を知り、真の意味での和解を求めていたと思われます。ですから、自分と同じ母から生まれたベニヤミンを監禁したならば、兄たちがどういう反応をするのかを確かめたかったのでしょう。そのために、ベニヤミンの袋にヨセフ専用の銀の器を入れて、監禁するための仕掛けをしたのです。兄たちは、エジプトから故郷のカナンに向かい、晴れ晴れとした思いに浸っていたことでしょうが、再びエジプトに戻され、一時の解放感は消え、困難は続きます。ヤコブ1:12には「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」とあります。
2.「ヤコブ(イスラエル)の願い」…ヤコブ(イスラエル)は、そもそもラケルと結婚したのですが、初夜の翌朝、隣にいるのはラケルの姉のレアでした。それは義父ラバンの計略によるものでした。そのためもあり、ヤコブは結果的に四人の妻と12人の息子たちを持つことになりました。気持ちの中では、「妻はラケル」という思いを持ち続けたのでしょう。ラケルはヤコブにとっての11番目の子ヨセフを産み、12番目の子ベニヤミンを産んだ直後に亡くなりました。ですから、ヤコブとしては、ラケルが生んだ二人の子のうちヨセフはいなくなり、残るはベニヤミン一人で、彼に対する思いは特別なものがあったのでしょう。そうは言っても、ヤコブは四人の妻を持ち、息子たちは12人であることに変わりはありません。そして、この12人の息子たちが族長となり、やがてイスラエル民族が形成されます。ローマ8:28には「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」とあります。確かに、ヤコブの義父ラバンの「計略」は素直に受容し難いものがありますが、神は全てのことを働かせて益としてくださったのです。
3.「仲介者ユダ」…ユダは、父イスラエルとエジプトのヨセフの間に立って、双方の相矛盾する要望を自らが犠牲となって受けとめ、解決を図っています。ですから、この後に父イスラエルが創世記49:10で「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない」と預言していますが、正にその通りになって行きます。今日(こんにち)私たちキリスト者も、その仲介者としての役割を担っています。Ⅰテモテ2:4~5には「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」とあります。キリストは、神と人との間に立ち、十字架による罪と死からの救いにより、神に対して、また人に対して、仲介者の務めを果たされました。キリスト者は、このイエス・キリストを信じ、この方の救いの福音を人々に証しすることによって仲介者としての役割を担うのです。