出エジプト記6:1~30からです。次の7章から、モーセとアロンはパロのところに行き、本格的な「出エジプト」の戦いが始まります。この6章は、その準備段階の最後の章とも言えそうです。今回もポイント3つ上げていきます。
1.「わたしの契約を思い起こした(5節)」…ここで、そもそも主がイスラエル人をエジプトからカナンの地へ上らせることになった経緯(いきさつ)が改めて記されています。それは、主が、エジプトで苦役を強いられているイスラエル人の苦しみ嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブに対して「カナンの地を与える」という契約を思い起こしたのです。先日の3月11日は2011年に発生した東日本大震災に関連する催しが各地で行われました。個人的なことですが、筆者はその当時のことを改めて思い起こしました。2011年3月11日、教会兼住宅の建物は津波によって跡形も無くなりました。次の3月12日の夜、ローマ8:28のみことばで励ましを受けました。13日夜はヨハネ16:33のみことばでさらに強められました。14日の日中、人からお借りした聖書を何気なく開いたとき「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。(イザヤ54:2)」というみことばが目に飛び込んできました。それはキリストのからだなる教会と、建物としての教会再建のみことばとして受けとめ、大きな力となりました。主がモーセとアロンを出エジプトのために遣わされたように、こんにち、私たちにも主が働いて用いようとされておられるのではないでしょうか。
2.「モーセの思い(9節)」…この少し前、モーセとアロンがパロの所に行ってイスラエルをエジプトから去らせるように直談判したのですが、それが却ってイスラエル人を苦しめることになったので、イスラエル人はモーセの言うことを聞きません。それでモーセはすっかり意気消沈して、主からの出エジプトのための指示に対して素直に応じることが出来ません。先日3月13日未明、教会員のWさんが召天されました。Wさんは持病を抱えておられ、ご自分が何時どうなるか分からないという覚悟を普段から持っておられました。言うまでもありませんが、人が亡くなるということは悲しみがあり、寂しさがあります。しかし、本人がイエス・キリストを信じ、永遠の希望を持っておられるのならば、悲しみの中にも勝利があり、大きな希望があります。モーセの場合ですが、目に見えるところは八方ふさがりの状態でした。しかし、主はイスラエル人の出エジプト、すなわち、エジプトからの脱出と解放をしっかりと備えておられたのです。Ⅱコリント5:7です。「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」
3.「モーセとアロンに与えられた使命(26節))」…14~24節までは、ルベン、シメオン、そしてレビの各部族の子孫について言及しています。特にレビは祭司職を受け持つ部族でした。民数記3~4章では、レビの子孫ゲルション、ケハテ、メラリが神の幕屋での奉仕を受け持ち、そのうちケハテの氏族は契約の箱などに関する奉仕を受け持ちます。モーセとアロンはそのケハテの子アムラムの子たちですが、彼ら二人はイスラエル人を率いて出エジプト、すなわちエジプトから脱出させるための特別な使命を与えられました。同じケハテの子イツハルの子にコラがいます。後にコラは民数記16章でモーセに逆らい、割れた地に飲み込まれてしまうという惨事に遭います。つまり、それぞれ主から与えられた使命、役割があるのです。それを誤解して妬んだり羨んだりすべきではありません。Ⅰペテロ4:10です。「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」