出エジプト11:1~10からです。「10番目の警告」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「なお一つのわざわいを下す(1節)」…7章から10章まで9度のしるしと不思議(わざわい)が記されていました。そして、いよいよ最後の10番目のしるしが起ころうとしています。それは12章に記されていて、この11章では、その予告的な記事となります。モーセがパロに、その10番目のわざわいを語ります。すなわち、真夜中ごろ、主がエジプトの中に出て行き、王家から奴隷に至るまでの初子が死ぬという災いが起きるということ。そして、イスラエル人は区別されて何事も起こりません。但し、12章ではイスラエル人が区別されるためには、過ぎ越しの祭りの原点となる一つの行ないをしなければなりませんでした。それは傷のない一歳の雄の小羊(山羊)を屠り、その血を家々の二本の門柱とかもいにつけるということです。それが、後の過ぎ越しの祭りの原点となり、この約1500年後にイエス・キリストの十字架の救いへとつながっていくのです。さらに今日、主キリストの再臨の日が近づきつつあります。その再臨の日こそ、正に区別の時となります。マタイ24:30~31を見ますと、再臨の日、それは一方では「悲しみの日」であり、もう一方では「選びの民として集められる日」なのです。
2.「モーセもエジプトで尊敬されていた(3節)」…イスラエル人が出エジプトするとき、食料、金銀、着物などが必要となりました。ここで主は、それらの必要のために、エジプト人がイスラエル人に対して好意を持つように仕向けられます。また、モーセはパロの家臣とエジプト人に非常に尊敬されていたとのことです。21世紀の現代に当てはめてみましょう。今日、クリスチャンは回りの人々にどう思われているでしょうか。もし、好感をもたれ、尊敬されていたら、それはそれで喜ばしいことであると言えるでしょう。しかし、どう思われようが大事なことは、クリスチャンは聖書のみことばに忠実に歩んでいなければなりません。その歩み方の基礎となるのは十戒でしょう。その十戒の要約です。「1.あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。2.偶像を造ってはならない。3.主の御名をみだりに唱えてはならない。4.安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。5.あなたの父と母を敬え。6.殺してはならない。7.姦淫してはならない。8.盗んではならない。9.偽りの証言をしてはならない。10.あなたの隣人の家を欲しがってはならない。」、10の戒めのうち8つが「してはならない」で2つが「せよ」です。つまり、「してはならない」は何もせずにいて守れます。「せよ」の第4戒めと第5戒めを行なえば十戒全部を順守することになるわけです。2026年5月10日は母の日ですが、今日、まず、イエス様を信じて罪赦された者とされ、聖日の礼拝を守り、父母を敬って生きる(基本的には全ての関わる人々を敬愛する)ことによって、クリスチャンとして良い歩み方ができるのではないでしょうか。
3.「パロはモーセの言うことを聞き入れない(9節)」…モーセがパロに第10番目のわざわいの警告をしましたが、パロは相変わらずモーセの言うことを聞きません。それでモーセは怒りに燃えてパロの所から出て行きます。それは、エジプトで主の不思議が多くなるためであったのですが、結局、最後は主の実力行使、エジプト人にとっては非常に厳しいわざわいが襲います。主のみこころは、主ご自身が崇められ、主の栄光が現われることではないでしょうか。今日、私たちは、イエス・キリストによる救いを信じ受け入れ、キリストを通して、日々の生活の中で、主の御名が崇められることを求めてまいりましょう。