●2026年5月24日(日)礼拝メッセージ要旨   

2026年のイースターは4月5日、その日から数えて50日目の5月24日が五旬節、ペンテコステ記念日です。そのペンテコステ記念日に因んで使徒の働き1:1~14から「聖霊が臨まれるとき」という題でポイント3つ上げていきます。

1.「水のバプテスマと聖霊のバプテスマ」…ある一人の方がクリスチャンになった場合を考えてみましょう。その人は、まず教会に来て、聖書のことばを聞き、やがてイエス・キリストを救い主として信じ、水のバプテスマを受けます。次にその人は聖霊のバプテスマ(聖霊体験)を受けます。これは一つの典型的な例と言えるでしょう。ペテロの場合はどうでしょう。彼は、イエス様に対し「あなたは生ける神の御子キリストです(マタイ16:16)」と言いました。その後、ペテロは使徒の働き2章の、あの五旬節の出来事で正に聖霊のバプテスマを受けました。その直後、ペテロは集まって来た人々に「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒2:38)」と語りました。一方、サウロ(パウロ)の場合です。サウロは当時、ユダヤ教に熱心でキリスト者を捕らえるためにエルサレムからダマスコへ行く途上、イエス様(聖霊様)がサウロに臨み、まばゆい光のために目が見えなくなりました。そのとき主が、ダマスコ在住のアナニヤをサウロの所に遣わしました。アナニヤがサウロのために祈るとサウロの目が見えるようになり、そのあと水のバプテスマを受けました。つまり、サウロ(パウロ)は、まず聖霊体験をしてそのあとで水のバプテスマを受けました。人それぞれ、その聖霊の体験は独特でとてもひとくくりにはできないかと思います。

2.「聖霊の賜物」…聖霊の賜物についてはⅠコリント12章に詳しく記されています。その章の3節には「聖霊によるのでなければだれも『イエスは主です』ということができません」とあり、そもそもイエス様を信じる告白をすること自体が聖霊の働きによるものであると言っています。創世記の1:2には「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」とあるように、天地創造の初めから今日まで聖霊の働きによって全てが成っていったということでしょう。Ⅰコリント12:8~11には御霊の賜物が9つ記されています。「①知恵のことば②知識のことば③信仰④いやし⑤奇跡を行なう力⑥預言⑦霊を見分ける力⑧異言⑨異言を解き明かす力」です。この章でパウロは結論として、「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい(31節)」と言っています。また同14章では、特に異言の賜物に対する健全なあり方が懇切丁寧に説明されています。

3.「御霊の実」…使徒の働き1:8には「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とあります。聖霊が与えられる目的です。それは、イエス・キリストの証人となるためです。また、ガラテヤ5:22~23には「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」とあります。クリスチャンは主の証人であり、「愛、喜び、平安…」などの御霊の実によってキリストの香りを放っていきたいものです。そのためにも私たちは、聖霊充満されることを求めてまいりましょう。かつてキリスト者に対する迫害に熱心だったパウロ(サウロ)は、自らがキリスト者になり、今度は誰よりも熱心に宣教活動に献身しました。そして新約聖書中13巻の手紙を書きました。キリスト者として非の打ち所の無いと思えるようなパウロが「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。(ピリピ3:12)」と言っています。私たちも「求める者にどうして聖霊を下さらないことがありましょう(マタイ11:13)」と言われた主に向かって、聖霊を熱心に求めてまいりましょう。

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