マタイ16:13~28からです。「自分の十字架を負い」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「わたしを誰だと言いますか(13節)」…ピリポ・カイザリヤに行かれたとき、イエス様は弟子たちに「人々は人の子を誰だと言いますか」と問いかけます。すると弟子たちは「バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者の一人だと言っています」と答えます。そこでイエス様は「あなたがたはわたしを誰だと言いますか」と言われると、シモン・ペテロが「あなたは生ける神の御子キリストです」と答えます。それに対して主は「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは、天にいますわたしの父です」と言われました。イエス・キリストの父なる神、全知全能の主は、不思議なお方で、私たち一人一人に目を留め、救いの御手を差し伸べておられます。そういう中で、イエス・キリストを信じ、救いに与ったのであれば、正にそれは神の恵みです。エペソ1:3~4です。「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」
2.「この岩の上にわたしの教会を建てます(18節)」…18節でイエス様はペテロに「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロ(ペトロス)です。わたしはこの岩(ペトラ)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」と言われます。「この岩の上」とは何でしょう。イエス・キリストご自身とキリストを信じる信仰告白と言えるでしょうが、今日、その信仰の基となる聖書のみことばのことでもあるでしょう(エペソ2:20参照)。19節では、主はペテロに「天の御国のカギを上げます」と言われました。それは、ペテロだけではなく、全てのキリスト者に与えられている特権です。天の御国のカギとはイエス様を心から信じてお祈りすることでしょう。マタイ18:18~19です。「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」
3.「十字架を負う(24節)」…さて、その後、イエス様はエルサレムに行って苦しみを受け、殺され、三日目に復活するということを話されます。するとペテロが「そんなことがあなたに起こるはずはありません」と言いますが、主はペテロに「下がれサタン。あなたはわたしの邪魔をする者だ~」と言われます。今日、イエス・キリストの十字架と復活による罪の赦しを得させる悔い改めの福音が世界中で宣べ伝えられています。イエス様を信じた人々の集まりである教会は正しい人の集まりではありません。罪人の集まりです。もっと正確に表現すると「教会は、聖なる神の前に自分が罪人であるということを自覚した人々の集まり」ということです。そして、この教会に集う人々、すなわちクリスチャンは「自分を捨て、自分の十字架を負い、イエス様について行く者である」ことが求められています。「自分の十字架」です。人それぞれ、その人だけが持つ賜物、才能があるものです。裏を返せば、それは、その人に与えられた賜物、才能を用いて、その人の使命に生きるということです。26節には「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」とあります。人よりも上に立つことや優れた者になるということを目的とするような人生ではなく、むしろ、誰かの救いのために用いていただくような生き方でありたいと願います。