出エジプト記13:1~22から「雲の柱と火の柱」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「種を入れないパンの祭り」…1~2節で、主がモーセに対して「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子は、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。」と言われます。3~10節で、モーセはイスラエルの民に対して、まず「種を入れないパンの祭り(過ぎ越しの祭り)」のことを語っています。それは、イスラエル人がカナンの地に着いたとき、種を入れないパンの祭り(過ぎ越しの祭り)を行ない、エジプトから連れ出されたこと、すなわち奴隷から解放されたことを忘れないように、また、そのことを子々孫々に伝えるように、と語ります。その約1500年後、神のひとり子イエス・キリストが世に来られ、十字架の救いを成し遂げられました。使徒の働き26:18で、イエス様はパウロに「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」と語っておられます。今日、私たちはイエス・キリストを信じ受け入れて、サタンの支配から解放され、罪の赦しを得て、聖なる者とされ、天の御国を受け継ぐ者とされましょう。
2.「初子を主にささげる」…次にモーセは11~16節で、イスラエル人が守るべきおきてとして、これは過越しの祭りと関連しているのですが、「初子を主にささげる」ことについて語ります。イエス様がこの世に人としてお生まれになったとき、ヨセフとマリヤは、きよめの期間が満ちてからエルサレムに行って幼子を主にささげました。ルカの福音書2:23~24には「──それは、主の律法に『母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない』と書いてあるとおりであった──また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。」とあります。今日のクリスチャンには不要なしきたりですが、イエス・キリストを信じ受け入れた者は主への献身者です。ローマ人への手紙12:1には「 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」とあります。またⅠペテロ2:5には「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」とあります。イエス・キリストの父なる神様に、自分自身をおささげし、主の器として用いていただきましょう。
3.「雲の柱と火の柱」…17~22節です。主がイスラエルの民をエジプトから連れ出されたとき、地中海沿岸のルートではなく、シナイ半島方面の葦の海沿岸のルートに導かれました。そして主は、昼は雲の柱、夜は火の柱によって民を先導されたのです。私たちの教会のことを振り返ってみましょう。まず、1983年12月1日から福住町で開拓伝道が始まりました。次に福田町、そして蒲生、3.11東日本大震災後は新田、そして現在の燕沢に会堂が完成したのが2016年2月23日でした。大きな決断を迫られたのは、海岸線から約700メートルの蒲生の地に移るときでした。2005年10月のことですから、まだ3.11東日本大震災発生前ですが、やはり、津波に対する危惧はありました。その上で蒲生に行くことを決めました。大震災直後は確かに苦しみと戸惑いがありましたが、これまで、主が一つ一つを導いて下さったと受け止めております。これから先も主の導きに従っていきたいと思います。ルカ9:23です。「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」