●2026年6月7日礼拝メッセージ要旨      

出エジプト記12:29~51から「エジプトからの解放」という題でポイント3つ上げていきます。

1.「私(パロ)の民の中から出て行け」…この記事では、第10番目の災いが起こり、それゆえにイスラエル人はエジプトから出て行くことになります。これまでの第1から9までの災いが起こったあと、パロは心頑なにして、イスラエル人を解放することはありませんでした。しかし、今度は逆に「出て行け」と言っているのです。それはもちろん、過ぎ越しの祭りの基となる一連の出来事の故であり、背後で全能の主なる神様が働いておられるのです。主は不思議をなさるお方です。例えば、アモス書8:11には「見よ。その日が来る。──神である主の御告げ──その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、【主】のことばを聞くことのききんである。」とあります。今の日本の現状を考えてみましょう。主のことば、すなわち聖書のことばに対して、切に求めて聞こうという人は稀です。しかし、主が許されるなら、そのような時が来るのではないでしょうか。

2.「寝ずの番」…イスラエルの民は、ヤコブ(イスラエル)やヨセフの時代、エジプトでゴシェン(ラメセス)の地に住むことになりました。それから430年が経過し、ラメセスからスコテへ、スコテからエタムへと移動します。42節では「この夜、【主】は彼らをエジプトの国から連れ出すために、寝ずの番をされた。この夜こそ、イスラエル人はすべて、代々にわたり、【主】のために寝ずの番をするのである。」とあります。主がイスラエル人のために「寝ずの番」をされたのです。それは、今日、イエス・キリストの救いに与った異邦人である私たちも同じです。詩篇4:3には「知れ。【主】は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、【主】は聞いてくださる。」とあり、また、イエス様はマタイ28:20後半で「見よ。わたしは世の終わりまでいつも、あなたがたとともにいます。」と言われました。すなわち、キリストが私たちといつも共にいて、特別に扱ってくださり、祈りを聞いて下さるのです。さて、もう一つの「寝ずの番」は、イスラエル人が主のために寝ずの番をするのです。イザヤ62:6には「エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。【主】に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。」とあります。今日のキリスト者にとってエルサレムとは、キリストの体である教会(建物ではなく)と見立てても間違いではないと思います。キリストにある一人一人がキリストに似た者とされる。また、そのために互いに支え合い、祈り合うのです。

3.「エジプトから連れ出された」…主がモーセとアロンに43節から、過ぎ越しのいけにえに関するおきてについて語っておられます。外国人などの場合は、男子は割礼を受けなければ食べてはならない、ということです。「割礼」はイスラエル人(ユダヤ人)におけるアブラハムの時代からの決まり事なのですが、今日、異邦人クリスチャンにとって割礼は不要です。但し、洗礼があります。マルコ16:16には「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」と。ガラテヤ3:27には「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」とあります。バプテスマ(洗礼)は、イエス様の命令(マタイ28:19)でもあり、キリストをその身に着て、自分はクリスチャンであるという旗印を掲げることでもあります。ガラテヤ5:1には「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」とありますが、イスラエル人が奴隷から解放されてエジプトから連れ出されたように、今日、私たちは、イエス・キリストの十字架の救いを信じて、悪魔の奴隷から解放されて、霊的な自由の中にあるのです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です