●2026年7月19日礼拝メッセージ要旨 

出エジプト記18:1~27からです。この章では、モーセのしゅうとイテロが、先に送り返されていたモーセの妻と二人の息子を伴い、モーセに会いに来ます。ここから今回もポイント3つ上げていきます。

1.「モーセとイテロの再会」…モーセとイテロは再会し、互いに安否を問い合ったあと、天幕に入ります。そして、モーセはエジプト脱出からこれまでのことをイテロに話したことでしょう。たぶん、あの過ぎ越しの祭りの起源となった過ぎ越しの出来事、そして紅海が乾いた地となって、そこを渡った出来事などを中心に話したことでしょう。それを聞いたイテロは喜び、主をほめたたえ、主があらゆる神々にまさって偉大であると言いました。イテロはミデヤンの祭司でしたが、どういった宗教の祭司なのか、聖書には記されていません。このあと、12節で、イテロは全焼のいけにえと神へのいけにえを持って来ていて、アロンとイスラエルの長老たちとともに神の前で食事をしていますので、イテロは、イスラエルの神、すなわち全知全能の主に回心したのかもしれません。

2.「イテロの提言」…その翌日、モーセは民をさばくために、さばきの座に着いていました。ところが、さばくのはモーセ一人で、多くの民が順番待ちで朝から夕方まで立っているのです。そこで、イテロはモーセに対して率直に「あなたのしていることは良くありません」と言い、その解決方法を提言します。それは、「あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。(出エジプト記18:21)」と言います。これと少し似たようなことが新約聖書の使徒の働き6章で起こります。当時エルサレム教会の信徒は少なくとも5千人(使徒4:4)はいたようです。毎日の配給のことで彼らのうちのやもめたちがなおざりにされていました。そこで十二使徒は弟子たち全員を呼び集めて「御霊と知恵に満ちた評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします」と言います。今日の教会においても、キリストにある信仰を土台とし、その上に立って、互いに与えられた賜物を提供し合い、協力してキリストのからだなる教会を建て上げていきたいと思います。

3.「しゅうとの言うことを聞き入れるモーセ」…ここでモーセは、しゅうとイテロの提言を素直に受け入れて実行に移します。イテロはモーセの義父ですが、モーセはこれまで全能の主とともにイスラエルの民をエジプトから導いてきました。つまり、全知全能の主への信仰は、イテロよりもモーセのほうが先輩になります。しかし、モーセは、ここでつまらないプライドはおくびにも出さず、しゅうとの提言を受け入れるのです。パウロはピリピ3:3~4で「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。」と言っています。神への信仰は大事ですが、人間的なものも無視することは出来ません。またパウロはⅠコリント9:23で「私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」と言っています。優先順位は何か?決勝点はどこか?そういったことを見極め、イエス・キリストの父なる神を第一にして、この世にあっては関わる全ての人を敬愛し、人々の救いのために福音が伝わることを願い、求めてまいりましょう。

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