出エジプト記19:1~25からです。この章は、あの十戒が記されている出エジプト記20章の直前の章、19章です。「主は山(シナイ山)から彼(モーセ)を呼んだ」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「宝の民となる」…エジプトを出たイスラエル人が第三の月入って、シナイ山のふもとに宿営していたとき、主は山からモーセを呼んだので、モーセは神のみもとに上って行きました。主はモーセに「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」と言われます。イスラエル人が主の声に聞き従うなら宝の民となり、祭司の王国、聖なる国民となる、ということです。新約聖書Ⅰペテロ2:9には「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」とあります。今日、私たちは、聖書のみことばによって整えられ、イエス・キリストの福音を証しさせていただきましょう。
2.「三日目のための用意」…三日目に、主がシナイ山に降りて来られるので、民は聖別されて着物を洗わなければならない、と言われます。実際、三日目には山は雷と稲妻と全山煙が立ち込めます。新約聖書Ⅰペテロ4:7には「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」とあります。確かに今は世の終わりに近づいています。私たちは、祈りのために心を整え、身を慎みましょう。同じⅠペテロ4:2には「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。」とあります。人間である以上、様々な欲望が無くなることはありません。その中で、神のみこころに心を向けていくことが求められています。次の出エジプト記20章では十戒が記されています。その第四戒は「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」です。今日(こんにち)の、主にある教会においては、仕事を休み、イエス・キリストの御名によって礼拝をささげることです。特に「休む」ということは、日本において一般的に「怠慢」の意味に受け取られがちですが、適切に休むことによって、むしろ仕事の能率が上がるでしょう。今は、真夏の時期で無理は禁物です。適度に賢く休み、正しい理解において神のみこころに従いましょう。
3.「三日目の朝(当日)」…いよいよ三日目の朝になると、山の上に雷と稲妻と密雲、角笛の音が非常に高く鳴り響いて、宿営の中の民は皆、震えあがりました。13節にありますように、主は「雄羊の角が長く鳴り響くとき、彼らは山に登って来なければならない。」と言われました。しかし、あまりにも山が恐ろしい状態で、民は山に近づくことができません。しかし、その最中(さなか)にあってモーセは神のことばを受け、山を下って民に神のことばを告げることになるのです。こののち、アロンとその家系が祭司の役割を担っていくのですが、ここではモーセが実質的に神と人との仲介者、正に祭司的な役目を担っています。新約時代に入り、神の御子イエス・キリストがこの世に来られ、完全な仲介者、完全な大祭司としての役目を担うことになります。ヘブル10:26には「また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。」とあります。私たち人間は聖なる神の前に罪人であり弱い者です。だからこそ完全な大祭司であるイエス様に助けていただきながら、日々、神のみこころを求めてまいりましょう。