前回までは出エジプト記でしたが、今回から新約聖書です。まずはマタイ1:1~25から「イエス・キリストの系図」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「アブラハムの子孫、ダビデの子孫」…福音書は四つあります。このマタイの福音書はイスラエル人(ユダヤ人)向けに書かれたものであると言われています。ですから、まずイエス・キリストの出自、その出所を明確にするためにこの系図があるのでしょう。1節で「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」とあります。アブラハムは75才のとき、主なる神にカナンの地に行くように言われます。そのとき「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(創世記12:3)」と、全ての民族の祝福の源となることを告げられます。そして、ダビデはイスラエルの最も優れた王であり、預言者を通して主はダビデに「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。(Ⅱサムエル7:12~13)」と言われました。つまり、キリストはダビデの子孫として生まれられます。実際に、ヨセフもマリヤもダビデの子孫です。
2.「四人の女性」…この系図の中にはタマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻(バテ・シェバ)の四人が出てきます。タマルはユダの息子と結婚しますが、長男が死に、義弟としての務めを果たすために結婚した次男も死にます。ユダは三男も死ぬかもしれないと思い、タマルを実家に帰していました。かなりの日が経過してユダの妻が死んで喪が明けたとき、ユダの動向の知らせを耳にしたタマルは遊女の装いをしてユダの通る道端に座っていました。ユダはタマルとは知らず、その遊女のところに入ります。タマルは妊娠し、双子を産み、ペレツ(パレス)が系図を継ぎます。ハガルはエリコの遊女でイスラエルの二人の斥候を匿い、エリコの城が陥落した時に助けられ、サルモンと結婚しボアズを産みます。ルツはモアブ人でしたがナオミの息子と結婚したものの、やもめとなりました。結局、ナオミの故郷であるベツレヘムへ二人で来ました。そこでボアズとルツは結婚します。この二人のひ孫がダビデです。ダビデ王は立派な名君ではあるのですが、ウリヤの妻バテ・シェバと道ならぬことをして、さらに、自分の王としての立場を使ってバテ・シェバの夫ウリヤを前線に立たせ死に至らせてしまいます。イエス・キリストの系図で出て来るこれらの人々は、罪と過ちに覆われています。しかし、そういう罪に満ちた人間の世界にイエス様は来てくださり、むしろ、その罪からの解放の道を備えてくださった、そこに福音があります。
3.「イエス・キリストの誕生)」…18~25節は、それまでの系図から離れて、キリストの降誕が記されています。このときマリヤは聖霊によって身重になりました。婚約者のヨセフは正しい人で、このことを内密に去らせようとしましたが、主の使いが夢でヨセフに現われ、「マリヤの胎に宿っているものは聖霊によるものであり、妻としてマリヤを迎えなさい。生まれる男の子は、ご自分の民をその罪から救ってくださる方である」と語ります。確かに、罪の無い神の子として聖霊によって生まれるのでなければ救い主にはなれません。23節には 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)とあります。もちろん、イエス様は「インマヌエル」とは呼ばれていませんが、確かにイエス様は信じる者と共にいてくださる救い主です。マタイ28:20では「~見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と言われました。