●2026年9月13日礼拝メッセージ要旨    

マタイ4:1~25から「人はパンだけで生きるのではない」という題でポイント3つ上げていきます。

1.「悪魔の試み」…マタイ3章ではイエス様(※以後キリスト)がバプテスマのヨハネからバプテスマを受けました。キリストは人として歩まれるために、公生涯を始める前に、バプテスマを受けられ、そして、悪魔の試みを受けられます。40日40夜断食して空腹を覚えられたキリストに近づいて悪魔は、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」と言います。キリストは「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。(申命記8:3)」と、聖書のみことばをもって応じます。次に悪魔はキリストをエルサレムの神殿の頂に立たせて、「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる(詩篇91:11~12)』と書いてありますから。」と、なんと悪魔は聖書のみことばを使ってきます。するとキリストは「『あなたの神である主を試みてはならない(申命記6:16)』とも書いてある。」と言われます。すると悪魔は、キリストを非常に高い山に連れて行き、この世の栄華を見せて、「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」と言います。するとキリストは「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ(申命記6:13)』と書いてある。」 と言われます。すると悪魔はキリストを離れて行き、御使いたちが近づいて来て仕えます。もちろん、キリストは一言葉で悪魔を退けることがお出来になるのですが、私たちの模範となるために、聖書のみことばをもって応じられました。

2.「ガリラヤへ立ち退かれた」…バプテスマのヨハネが捕らえられたことを聞いて、キリストはガリラヤに立ち退かれ、カペナウムに来て住まわれます。そこはゼブルンとナフタリとの境にある湖のほとりの町です。イスラエル12部族の族長であるゼブルンは6番目でビルハ(ラケルの女奴隷)の子です。ナフタリは10番目でレアの子です。彼らは12部族の族長たちの中で中心人物たちではありません。マタイ4:15~16にはイザヤ9:1~2のみことばが引用されていて、そのイザヤ9:2には「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」とあります。キリストが、その地に来られ、霊的な闇の中にいた人々にキリストを通して大きな光が照らされるのです。

3.「わたしについて来なさい」…キリストは、いよいよ宣教を開始され、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と第一声を語られます。正にキリストは「天の御国」そのものですから、確かに天の御国が近づいたのでした。そして、ペテロとアンデレに「わたしについて来なさい」と言われ、さらにヤコブとヨハネをお呼びになると、彼ら四人はすぐにキリストに従います。この後、彼らは12弟子の中でも中心人物となっていきます。今日、私たちは、毎日毎日、あるいは毎時毎分、目の前にある選択すべきことを決断しながら選択しつつ、前に進んでいるのではないでしょうか。右に行くか左に行くか、白を選ぼうか赤にするか、それは実に多方面にわたっています。つまり、私たちはそれぞれ、この世に生を受けてから今まで、自分の決断の積み重ねの結果として今の自分があるのです。エペソ2:10には「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」とあります。キリストに従って、ついていったペテロたち四人のようにキリストと聖書のみことばに従い、良い行ないに歩んでいきましょう。その道こそ、その人を永遠の祝福に導く最善の道です。

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