●1月15日礼拝メッセージ要旨(ルカ22:47~71)  

  「わたしはそれです」という題で、ポイントを3つあげて学びましょう
   ①暗闇の力…大祭司たちから差し向けられた群集が、キリストを捕えにやってきました。その先頭にはイスカリオテのユダがいます。聖なる神の御子が、悪者扱いされて捕えられるとは、正に暗闇の力が働いている時です。ある者が、大祭司のしもべに剣で切り掛かり、右耳を落としました。するとキリストは、即座に耳に触って彼をいやされました。暗闇の力が働いている暗い記事ですが、一条の光が差し込んでくるような文字通り癒しの記事です。今日、キリスト者は「地の塩」、「世の光」として、この世に遣わされています。当教会は南側に山があり、雪が降ると駐車場の雪が融けにくい環境にあります。先日、融雪剤を撒いたところ、その効果を実感しました。キリスト者は、その融雪剤のように、キリストの力によって、凍ったような冷たい世を溶かす使命を負っているのです。
   ②三度、知らないと言うペテロ…イスカリオテのユダは最初からキリストを裏切るつもりで行動していましたが、ペテロの場合は、そうではありません。彼は「御一緒なら、牢でも死でも、覚悟はできている」と言い、キリストを裏切ろうなどとは少しも思ってはいませんでした。しかしどうでしょう。鶏が鳴くまでに3回も「知らない」と言ってしまいました。「ペテロという人はなんて情けない人なのか」、と思うかもしれませんが、ペテロは、弱さを持つ私たち全ての人間の代表として、そのような結果になったとも言えるでしょう。使徒パウロはローマ7:21で「私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見出すのです。」と言っています。自分の弱さを認めて、主キリストに助けを求める生き方が、実は幸いなのです。
  ③わたしはそれです…翌日になって、キリストは、議会(サンヘドリン)で質問されます。「あなたは神の子ですか?」と問われると、キリストは「あなたがたが言うとおり、わたしはそれです。」と答えます。そうであるから、そうであると答えるしかないでしょう。真実は動かすことはできません。この世には、多くの人々に良い事と思われていることの中に、聖書から見ると、悪いこと(偶像礼拝など)があります。誰とでもうまくやって行こうとするなら、悪いことでも黙認してしまうでしょう。でも、聖書のことばを曲げて人と仲良くしても、主はそれを喜ばれません。是は是、非は非としなければなりません。もちろん、どのような人に対しても寛容な心、広い心をもって接することが必要ですが、私たちは、真実な聖書のことばにしっかりと立っていかねばなりません。

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