●6月16日の礼拝メッセージ要旨(マタイ19:1~15)

イエス様の一行が、ガリラヤを去ってヨルダンの向こうにあるユダヤ地方に行かれた、とありますが、地図を少し分かる人にとっては、首をかしげる表現かと思います。イスラエル側から見ればユダヤはヨルダン川よりこちらに位置します。ヨルダンの向こうということは、イエス様一行がヨルダン川の東岸、ベレヤ地方を通ってユダヤ地方に行かれたということなのでしょう。そのとき、群集がついてきて、イエスさまに病をいやしていただいたのですが、そういった光景を苦々しく見ていたであろうパリサイ人たちが、イエス様をなんとか陥れようとして、結婚に関する質問をしました。それに対するイエス様の問答などから、今回もポイントを三つあげて学びましょう。
①聖書的結婚観…パリサイ人は「何か理由があれば妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」と質問します。これは、創世記2:24の夫婦は一体であるという教えと申命記24:1に離婚に関する言及における一種の矛盾点を指摘したものです。これに対してイエス様は、人間の持つ弱さの故に、モーセがそう教えた(申命記24:1)と答えられます。実際的に、本来は一体であるべき一組の夫婦が、そうあり続けることが容易でないということは、誰もが認めるところではないでしょうか。これから結婚する独身の方々は、ひと時の情感に左右されず、結婚の相手をしっかりと見極めていかねばなりません。
②キリストの花嫁…使徒パウロは第一コリント7章で結婚に関して述べていますが、結論として、結婚することは良いことであるけれども、独身でいられるのなら、そのほうがもっと良いと言っています。確かに焦って結婚して、その身に不幸を招くより、一人身のほうが幸いです。独身、既婚を問わず、キリスト者は、きよくて従順なキリストの花嫁として歩みましょう。
③素直な信仰…結婚についてイエス様に質問したパリサイ人の目的は、イエス様を陥れるということでした。そんな質疑応答の最中に、子供たちが連れて来られて、イエス様に祝福の祈りを求めたのでした。イエス様に対するこういう姿勢、こういった姿こそ、今日、私たちが持つべきものです。求めるのは、天の父からの祝福、そのために、困難や迫害もあるかもしれない。しかし、永遠の祝福こそ、私たちが何より求めなければならない最も価値あるものです。

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