●6月30日の礼拝メッセージ要旨(マタイ19:16~30)

   イエス様のもとに、ひとりの財産家の青年が来て「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょう。」と質問した記事などから三つポイントをあげて学びましょう。
   ①永遠のいのち…「永遠のいのちを得るには」と、こういう会話ができることは幸いなことです。なぜなら、創造主である永遠の神の存在と永遠のいのちということを信じている者同士でないとこういう会話は成り立たないからです。さて、この青年は「どんな良いことをしたらよいのでしょう。」と尋ねますと、イエス様は「良い方はひとりだけです。」と、暗示的なことを言われます。結局、永遠のいのちを得るためには、良い行ないによるのではなく、良い方であるイエス様による十字架の救い以外にはないからです。
   ②神にはどんなことでもできる。…「行ない」によって救われるのではないということを気付かせようとしたのでしょう。イエス様は、金持ちの青年に対して「持ち物を売って、貧しい人たちに与えなさい。」と言われると、青年は悲しんで去って行きました。そこでイエス様は、「金持ちが天の御国に入るのは難しい。」と言われます。それを聞いて弟子たちは「それでは誰が救われるでしょう。」と言います。救いは、人の力によってもたらされるものではなく、金持ちであろうが、難しい人であろうが、神の力と奇跡によって、どんな人でも救いに与ることができます。
   ③わたし(イエス様)の名のために…最近、サヨナラホームランを放った阪神のマートン選手は、ヒーローインタビューで「いつも一緒ね。イエス様に平安がある。がんばります!」と言ったそうですが、たぶん、正しい日本語として「いつもイエス様が一緒だから平安があります。がんばります!」と、言いたかったのでしょう。イエス様の名をインタビューで語るということは、ある意味、抵抗がありますが、マートン選手は、選手としての自分の保身のことよりも、イエス様の御名が崇められることを第一に求めているのでしょう。

 

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