●7月14日の礼拝メッセージ要旨(マタイ20:17~34)

 三つの内容の記事から、ポイントを三つあげて学びましょう。
 ①十字架と復活…イエス様は、時々、ご自分が十字架にかかって殺され、その後、復活しなければならないということを言われます。マタイ16:21でもほぼ同じことを言われました。なぜ、十字架と復活のことを時々言われたのでしょう。それは、一番大事なことだからなのです。人々を教えたり、病や患いを直していたイエス様は、むしろ、このことのために、この世に来られたのです。人間は、めとったり嫁いだり、様々な営みを日々続けています。しかし、やがては、この世を去るときが来ます。この世を去ってどこに行くのでしょう。イエス様は、私たちが、真の希望である永遠の天の御国に入るための道備えを十字架で完成されました。その最も大事なことをないがしろにしないようにと、弟子たちに、この時、というときに語られたのでしょう。
 ②仕える者になりなさい。…人間、偉くなったとか、地位が上がったとか、とかく、そういったことに力点を置くものです。しかし、イエス様は、「あなたがたの間で、人の先に立ちたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。」と言われます。イエス様ほど偉い方はいないでしょう。その方ご自身が、人々に仕え、ご自分のいのちを贖いの代価として与えられたのです。
 ③二人の盲人…二人の盲人がイエス様に叫び求め、目が見えるようにしていただきました。この記事は、今日の私たちの祈りに適用できるでしょう。チャールズ・H・スポルジョンは「祈りたい気持ちのときには祈るべきである。というのは、そのような良い機会を無視するのは罪深いことであるから。また、祈りたくない気持ちのときも祈るべきである。というのは、不健全な状態にとどまるのは危険なことであるから。」と言っています。人間、生きている限り、ときに様々な問題があるものです。しかし、イエス様に祈り求めることができるということは幸いです。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。(エレミヤ33:3)」

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