天の御国は、王子ための結婚披露宴を催した王のようである、というイエス様のたとえ話から、ポイントを三つあげて学びましょう。
①天の大祝宴…一般的に言っても、結婚の披露宴は相当な食事が振る舞われます。それが王家の結婚式であるなら、かなり豪華なものとなるでしょう。ヘブル12:22には、キリスト者はやがて天の大祝会に与る約束があります。また、ヘブル4:1には、天の御国は「神の安息」と表現しています。七日に一度、私たちは日曜日を聖日とし、安息日として位置づけています。その安息日の過ごし方が、やがて迎えられるであろう天の大祝会への備えとなるでしょう。
②招待と無関心…5~6節で、招待客たちは、せっかくの王の招待を無視し、畑仕事や商売を優先し、王のしもべたちを殺しています。実際的には、この世で権力者である王の招待を無視する人はいないでしょう。ここでは、目に見えない天の創造主の招待なので、無視したりということは大いにありえます。今は恵みの時、今は救いの日です(第二コリント6:2)。全ての人を創造した創造主の恵みによる救いの招きがある今この時に、その招きに応じることこそ、どうしてもしなければならない事です。また、すでに招きに応じた者は、今度は招く側に立って、天の大祝会への招待を人々に案内しましょう。
③礼服…この世の結婚式にも礼服や一張羅の服を着ることは礼節でもあります。この記事で言う礼服とは何でしょう。霊的、信仰的に色々な解釈ができると思いますが、天の大祝会に出席するのにふさわしい者となるということでしょう。イエス様を信じてバプテスマを受け、成長して主の弟子となる(マタイ28:19~20)ことと言えると思います。黙示録2~3章には「勝利を得る者は~」と何回か出てきます。霊的な勝利者とは、勝利者であるイエス様が共におられる人です。そのために必要なことは、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する(第一テサロニケ5:16~18)ことです。それによって御霊は消される(第一テサロニケ5:19)ことはないでしょう。