●8月4日の礼拝メッセージ要旨(マタイ21:23~46)

  23節から46節まで、少々長いのですが、ポイントを三つあげて学びましょう。
   ①権威…イエス様が宮で教えておられると、祭司長たちが来て「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。」と問いかけます。本来、宮(神殿)は天の創造主を礼拝する場所であり、そこへ創造主のひとり子イエス様が来て教えておられるのですから、イエス様以上に教えるにふさわしい方はいません。しかし、祭司長たちは、イエス様の権威を認めようとしません。イエス様は「わたしには天においても地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイ28:18)」と言われました。今日、私たちは、イエス様が天と地の最高権威者であることを覚えるべきです。また、イエス様は教会のかしらとして教会に与えられていますので、教会(聖書的で健全な教会でなければならないが)の権威も認めるべきです。それとともに、この世にある権威も、主によって立てられているのですから、税金を納めたり法律を守ったりということも正しいことです。家庭においては父親の権威を認めることも、子供にとっては健全な人間関係の基礎となるでしょう。
   ②兄と弟…ぶどう園で働いてくれ、という父の求めに対して、兄は「行く」と言って行かず、弟は「行きたくない」と言ったのですが、悪かったと思って、行きました。ここでは、兄は祭司長たちのこと、弟は取税人や遊女のことを指しています。取税人や遊女たちは、バプテスマのヨハネのメッセージを聞いて悔い改めたのでした。今日、私たちもイエス様の福音を聞いて、福音に従わなければなりません。みことばを聞くだけに終わらず、聞いたみことばを行なってこそ役に立つのです。
   ③礎の石…「家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった」というみことばは、イエス様の十字架のことを言っています。一時的にイエス様は、見捨てられたと思われましたが、却って、それによって、救いの福音が全世界に宣べ伝えられるようになりました。このことは、私たち個人の信仰にも通じるところがあります。パウロは「私は、キリストの力が現われるために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(第二コリント12:9)」と言っています。私たちそれぞれ、弱さを持っているものです。しかし、案外、その弱さを通して救いに導かれたり、主の栄光が現われたりするものなのです。

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