●8月7日の祈祷会メッセージ要旨(詩篇131篇)

※8月11日の礼拝説教者がゲストスピーカーでしたので、8月7日祈祷会のメッセージです。


 1節では、「誇らず」「高ぶらず」とありますが、一言葉で言えば「謙遜」ということでしょう。旧約聖書一日一章という書で榎本保郎師は「謙遜とは、ただ単におごらない、高ぶらないということではない。私たちが何かをなそうとするとき、自分の力だけでそれをしようとすると、その力が充分にあると思えるときには、おごりや、高ぶりを覚え、その力の不足を感じるときには、不安になり、あるいは恐れをいだき失望してしまう。それは私たちと共にいてくださる神の力を認めようとしないからで、神の力を認めてはじめて私たちは本当に謙遜な者とされるのである。そして何か事をなそうとするとき、それができるできないは問題でなくなり、それが神のみ旨であるかどうかが第一に考えられるようになるのである。」と言っています。
 また、2節では、「乳離れした子」とありますが、ここでも榎本師は、「乳飲み子」と比較しての乳離れした子を考えるようにと言っています。一面、独り立ちした、けれども、母親のそばからは離れない。つまり、天の父と私たちとの信仰的な関係として見るとき、霊的に独り立ちするほど成長しているけれども決して主の側を離れることはない、そういう意味での理想的な謙遜を「乳離れした子」という言葉で表現しています。
 3節では「主を待て」とありますが、忍耐して主の時を待つという姿勢もまた、真の謙遜な姿です。
このひとつ前の詩篇130:7では「イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。」とありますが、主を待ち望む者には、恵みが待っているのです。もう一度まとめてみますと、第一に「主の力を認め、主のみ旨に委ねる謙遜」、第二に「霊的に成長しつつも主のもとを離れない謙遜」、第三に「主のときを待ち望む謙遜」

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