●9月1日の礼拝メッセージ要旨(マタイ22:34~46)

 パリサイ人、サドカイ人らは、それまで二度、三度とイエス様をためそうと質問を試みたのですが、うまく行かず、最後に律法の専門家によって、「律法の中で大切な戒めはどれですか。」と、質問します。この再三の彼らによる質問とイエス様のお答えは、今日、私たちが聖書を学ぶ上での助けになっています。さて、イエス様は、その律法の専門家の質問に対して「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ。」、そして「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」、律法と預言者とがこの二つの戒めにかかっていると言われました。簡単にまとめますと、神と人とを愛すること、これが聖書が言っていることであるということです。神を熱心に愛しているけれども人を人とも思わない。人に対しては親切だけれども神の存在を認めようとしない。これではいけません。十戒に当てはめると、1戒から4戒は神と人との関係の第一の戒め、5戒から10戒が人と人との関係の第二の戒めです。神を愛する具体的な行動の第一歩は、聖日の礼拝参加です。また、人を愛することについては、父と母を敬うことから良い人間関係が始まるでしょう。
 この章の最後でイエス様は、パリサイ人らに「ダビデは、キリスト(メシヤ)を主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」と、詩篇110篇のみことばから、逆に質問をします。しかし、彼らは答えることができず、それ以後は誰もイエス様に質問しませんでした。イエス・キリストは、人としてこの世に現われましたが、永遠に生きておられ、天地創造の時にはそこにおられました。この方を私たちは信じています。クリスチャンはイエス様によって罪が赦され、永遠の希望と祝福が待っています。ちょうど、出エジプトしたイスラエル人のように、私たちは、すでに様々な奇跡を体験しているものです。イスラエル人の場合は、数々の奇跡を見ていながら、多くの者が途中で不信仰になり、約束のカナンの地を見ることなく荒野で死に絶えてしまいました。今日、私たちは、信仰によって始まったクリスチャンライフが、引き続き信仰によって進ませていただきましょう。昨日も今日も変わることのないイエス様が共におられるのですから。

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