●10月6日の礼拝メッセージ要旨(マタイ23:29~39)

 37節に「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。」とあります。創造主である天の神様は、ご自分の民であるイスラエルを愛して、ひなを翼の下に集めるめんどりのようにしたけれども、イスラエルはそれを拒否し、むしろ、彼らのところに遣わされた預言者たちを殺しました。イエス様も、そのみことばのとおりに、その後、殺され、そして復活し、それによって福音が全世界に届けられるようになります。この福音を受け入れるか否かということは、個人にとっても集団にとっても非常に大きな違いを及ぼします。
   私たちの住んでいる日本の国を考えてみましょう。現在NHKで「八重の桜」が放送されています。現在の同志社大学の前身である同志社英学校が創立されたのが、1875年(明治8年)で、その時代背景に大きな影響を及ぼしたであろうと思われる岩倉具視使節団がアメリカ、ヨーロッパに向けて日本を出港したのが1871年(明治4年)のことです。約2年にわたる使節団の旅程のなかでは、特にキリスト教の宣教を日本が受け入れるようにと諸国から要請があったということです。現在、世界の国々を見るとき、キリスト教の宣教を受けいれている国々と拒否している国々を比べてみるとき、言論の自由があるか民主的かという点で大きな違いを見ます。福音に対して閉ざされた国がどれだけ本来あるべき天来の祝福を遠ざけてしまっているでしょう。
   詩篇91:4には「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。」とあります。特に、私たち個人においても、創造主である真の神様の翼の下に身を置きましょう。そして、いつも信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さないように(ヘブル12:2)していましょう。

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