●11月10日の礼拝メッセージ要旨(マタイ25:14~30)

 「預かったタラント」という題で、3つポイントをあげて学びましょう。
  ①各々賜物が与えられている…自然界に生息する動物などを見ますと、その体型、配色など実によく整えられているものです。正に創造主のデザインによって完璧に形づくられていると言えます。まして、私たち人間もそうです。その人の両親のそれぞれの特徴を良い具合に受け継ぎ、最高傑作として仕上げられているのです。そして、ある人には5タラント、ある人には2タラント、また、ある人には1タラントというふうに、それぞれにその人に応じた個性や賜物、また度量が与えられています。ここで、1タラントとはどのくらいの単位なのか調べてみますと、1タラントは60ミナ、1ミナは100デナリで、一日分の賃金に当たる1デナリを仮に1万円として計算すると、1タラントは6000万円となります。大きな金額ですが、それ以上に、私たち一人ひとりには大きな賜物が与えられています。
  ②賜物を用いて生かす…私たちに与えられている賜物が全く生かされない、用いられないとすれば、それは大きな損失です。ある人には預言、またある人には奉仕、そのほか勧め、指導、慈善を行なう力(ローマ12:5~8)、そういった様々な賜物が与えられていて、それらをキリストのからだである教会を建て上げる(イエス様の御名を呼び求める人が一人でも多く起こされる)ために用いられますように。
  ③清算と評価のとき…死後、人はどうなるのでしょう。この世の考えも様々あります。無になる?霊体となって地上をさまよう?輪廻説?などですが、聖書は「ちりは元あった地に帰り、霊はこれをくださった神に帰る。(伝道者の書12:7)」とあり、死んだ人の霊魂は創造主のもとに帰ります。しかし、そこから「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル9:27)」とあるように、厳粛な神のさばきの前に立たされます。しかし、キリストを受け入れた者は神の怒りが臨むことはありません。そうかと言って、与えられた賜物を全く用いないで眠らせておくなら、受けるべき祝福を取り逃がすことにもなるでしょう。1タラントを地の中に隠しておいたしもべは、主人から「だったら銀行に預けておくべきだった。」と言われました。小さなことでもよいし、出来ることでよいのです。何をするにもただ主の栄光を現わすことを求めましょう。最後の清算と評価のとき、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言われるような歩みが出来ますように。

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