●5月25日礼拝メッセージ要旨(マルコ3:7~19)

 7節から12節では、イエス様が湖のほとりにおられたとき、近くから遠くから多くの人々が病のいやしを求めて集まったという記事。13~19節では、イエス様が12弟子を任命した記事です。その二つの記事からポイントを三つ上げて学びましょう。
 ①宣教…病の癒しや汚れた霊が追い出されることは、宣教の一つの現象でもありますが、すべてではありません。使徒26:18でパウロは、福音宣教について「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」と言っています。福音宣教には様々な要素が含まれています。それは、福音宣教により、人々が真理を知り、霊の目が開かれ、悪の霊から真の神の支配に移され、イエス・キリストの十字架と復活に対する信仰のゆえに、罪の赦しと永遠のいのちが与えられることです。
 ②任命…イエス様が山に登って12弟子を任命されました。それは、ご自身の十字架と復活後、昇天されたあとの準備を既に考えておられたのでしょう。実際に、12使徒を中心に福音宣教が展開されていきます。私たちの教会としても、将来のことを準備していなければなりません。また、個人としても、自分だけで終わるのではなく、自分を通して誰かの救いの実が結ばれることを期待しましょう。ルカ10:6には「もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。」とあります。イエス様の福音を受け入れる人を探し出すことは、イエス様の12弟子任命と重なります。
 ③派遣…ローマ10:15には「遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」とあります。今日、教会の働きのために遣わされるには、聖書の知識、総合的な知恵や知識、経験、信仰などが実際的に必要となってきます。但し、誰でもクリスチャンは教会から、それぞれの家庭や職場、学校などに遣わされているのです。日々の生活の中で主に用いられるため、あるいは将来のためにも、「どうぞ私を遣わしてください。私を用いてください。」と祈り、備えていましょう。

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