イエス様は、5000人のパンの奇跡のあと、弟子たちを舟に乗り込ませ、群集を解散させて、御自身は、祈るために山に向かわれました。夜中の3時頃になって、弟子たちが向かい風のため舟をこぎあぐねていると、そこにイエス様が、湖の上を歩いて通り過ぎようとされました。弟子たちはそれを見て幽霊だと思い恐がりました。その後、舟はゲネサレの地に着き、多くの病人がイエス様のところに運ばれてきました。さて、ここからポイントを三つ上げて学びましょう。
①恐れることはない…怯えている弟子たちにイエス様は「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われました。モーセが出エジプト記3章で、神に出会い、その名を尋ねると「わたしは『わたしはある』というものである。」と答えられました。その同一の神であるイエス様が「わたしだ。」と言われたのです。永遠から永遠に存在し、全知全能で頼りになるこの方が共にいるなら何も恐れることはありません。とは言っても、私たち人間は弱い者です。旧約時代の預言者エリヤは、バアルに仕える者たち450人と対決して圧倒的な勝利をした後、アハブ王の妻イゼベルから命を狙われると、恐れて逃げ、洞穴に隠れました。そのとき、主がエリヤの前を大風と地震をもって通り過ぎられ、「エリヤよ。ここで何をしているのか。」と、細き御声を掛けられます。エリヤが主に不満を訴えると、主はそれには直接答えずに「さあ、ダマスコに行きなさい。」と、次にすべきことを指示されます。私たちも、主が共にいれば恐れることはありません。あれこれ悩むことは不要です。次に何をすべきか、それを教えていただき、それに従っていくことです。
②堅く閉じた心…湖の上を歩かれるイエス様を見た弟子たちは、それがイエス様であると認めることはできませんでした。その数時間前にはパンの奇跡を見ているのですが、この時点で彼らは、イエス様をただの預言者の一人に過ぎないと思っていたのでしょう。53~56節では、多くの人々がイエス様に病のいやしを求めて押し寄せています。懐疑的な弟子たちとは対照的です。もちろん、熱心でありさえすれば良いということはありません。単純で素直に信じる姿勢と同時に深い知識も併せ持つことも必要です。
③祈られたイエス様…46節でイエス様は、祈るために一人で山に向かわれました。同じマルコ1:35にも「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」とあります。マタイ6:6には「奥まった部屋で祈りなさい。」とあります。イエス様はバプテスマを受けられ、私たちが進むべき模範となられました。祈りに於いても、私たちの模範となられています。私たちも、祈りを優先し、ますます主との交わりを深め、何をすべきか教えていただきながら進みましょう。