●8月31日礼拝メッセージ要旨(マルコ7:1~23)

 このとき、ガリラヤ方面におられたであろうイエス様の所に、エルサレムからパリサイ人や律法学者が来て、イエス様に質問をします。彼らは、弟子たちが、手を洗わないで食事をしているのを見て、なぜ洗わないかと言います。すると主は、「口先で神を敬っても、その心は遠く離れている。」と言われ、外からのものが人を汚すのではなく、人の内側から出るものが人を汚すということを教えます。ここから、ポイントを三つ上げて学びましょう。
  ①人間の言い伝え…当時のユダヤ人はモーセの律法を拡大解釈し、律法の教えから逸脱した人間の教えを教えとして言い伝え、人々の生活を却って不自由にしていました。聖書の教えか、人の言い伝えか、それは、今日の私たちの生活にも当てはまることです。私たちは、真に幸いと祝福をもたらす聖書の教え、すなわち、キリストの中に根ざし、また建てられ、また教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しましょう(コロサイ2:7)。
  ②人から出るもの…創造主が最初の人を形づくったとき、創造主のかたちに似せてつくりました。それは、罪なく、地のすべてのものを支配する賢い存在としてでした。しかし、人に罪が入り、死ぬ者となってしまいました。ですから、人は、一方で神に似せて造られているものの、一方では罪の性質を併せ持った存在なのです。良いことをしようという部分もありながら、内側からは罪の性質も厳然として持つのです。しかし、神のひとり子イエス・キリストが来られ、その十字架の贖いにより罪のきよめのわざを成し遂げられました。私たちは、まず自分が罪人であるということを認めること、そして、イエス様によって創造主に結び合されて、神の栄光のために生きようではありませんか。
  ③外側と内側…外側と内側、どちらが大切か。誰もが内側が大切だと知っています。でも、知ってはいても、外側を優先してしまうのが私たち人間です。もちろん、外側もある程度大切です。第一テモテ4:8には「肉体の鍛錬もいくらか有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。」とあります。つまり、私たちは、内側を強くすることです(エペソ3:16)。そのために必要なことは、聖書を読むこと、祈ることです。それを実質的に実行するためには、礼拝はもちろん、教会の各集会になるべく参加することです。そこから、内側が強くされ、創造主のご性質をいただき、救霊の思いに満たされていくのです。

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