●9月7日礼拝メッセージ要旨(マルコ7:24~37)

 イエス様は、ツロの地方へ行きます。そこにギリシャ人でスロ・フェニキヤ生まれの女が、自分の小さな娘が汚れた霊から解放されるように願い求めます。その願いに応えたあと、再びデカポリス地方のガリラヤ湖に来られます。すると、そこへ、耳が聞こえず、口のきけない人が連れて来られます。ここから、三つポイントをあげて学びましょう。
  ①願い続けた…初志貫徹という言葉がありますが、どんなことであっても、目標を達成するまで、最後まで成し遂げればよいというものではありません。やはり、良い事、その人にとって幸いなこと、否、神のみこころにかなう願い(第一ヨハネ5:14)であるなら言うことなしです。先日は、ユーオーディア管弦楽団によるコンサートが行なわれました。二十数年前、柳瀬洋さんはたった一人で舞台に立ってクラリネットの演奏をしていました。今、全員クリスチャンによるオーケストラコンサートが仙台でも開催され、会場は満席となりました。柳瀬さんのビジョンが、コツコツと積みあげられて、今、実を結んでいるのです。これは、願い続けることの一つのお手本です。
  ②子犬でも…いくらイエス様でも「子犬」とはなんと失礼な、と思ってしまいます。ここでは、子供たちはユダヤ人、子犬は異邦人として表現されています。神のみことばは、アブラハムの子孫であるイスラエル人(ユダヤ人)に語られ、その後、異邦人に、という神のご計画がありました。そのことを理解していたのかどうか分かりませんが、スロ・フェニキヤの女は、「子犬でも子供たちのパンくずをいただきます。」と答え、結果、彼女の願いは聞き届けられます。ローマの百人隊長もイエス様に「あなたを屋根の下にお入れする資格はありません。ただお言葉をください。」(マタイ8:8)と言って、その女と同じようにへりくだって、主から恵みをいただきました。
  ③エパタ(開け)…デカポリス地方のガリラヤ湖というと、しばらく前に、レギオンと言われるほどの無数の悪霊から解放された男が、その解放の証しを言い広めた地(マルコ5:20)です。そういった下地があったのでしょう。人々は、耳が聞こえず口がきけない人を連れてきました。イエス様は、その人の両耳に指を差し入れ、つばきをして、その人の舌に触られました。そして、深く嘆息してから「エパタ」と言われると、その人の耳は聞こえ話せるようになりました。深い嘆息、イエス様は、その人の人生、耳が聞こえない口がきけない、その生活がどのようなものであったかを思い遣った上で「エパタ」と言われたのでしょう。今日、主にある私たち一人一人に対しても、御霊ご自身が深いうめきによって(ローマ8:26)、とりなし、導いてくださいます。私たちは、先のスロ・フェニキヤの女のように、主の前にへりくだって願い求め続け、聖霊による最善の導きのもとに歩を進めてまいりましょう。

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