●10月5日礼拝メッセージ要旨(マルコ9:1~13)

  イエス様がペテロとヤコブとヨハネを連れて、高い山に上って行かれ、そこで、お姿が変わります。そのとき、エリヤとモーセが現われます。その後、山を下りながら三人の弟子たちの質問に答えられます。ここから、ポイントを三つ上げて学びましょう。
   ①「栄光の御姿」…ここでイエス様は、本来の神の栄光の御姿に変わられました。元々は、神の御姿である方なのに、ご自分を無にして仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです(ピリピ2:6~7)。この世に無数にある偶像の神々は、表向きこそ何らかの形に作られていますが、その中身は、石やコンクリートにすぎません。私たちは物事の実体、本質にしっかりと目を留めていかねばなりません。イスラエルの王ダビデは、「まことに、私は何者なのでしょう。…すべては、あなたから出たものであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。(第一歴代誌29:14)」と、ちゃんと、物事の実体を見極めた上での祈りをささげています。
   ②「そこにいるのはイエスだけ」…イエス様のお姿が変わっただけでなく、そこにエリヤとモーセが現われます。すると、ペテロは幕屋を三つ作ります、と見当違いな発言をします。そのとき、天から「これはわたしの愛する子、彼の言うことを聞きなさい。」という声が聞こえ、そこにイエス様だけがおられました。詩篇73:25には「天では、あなたのほかに、誰を持つことができましょう。地上では、あなたのほかに、私はだれをも望みません。」とあります。もし、許されて、天の御国に入るならば、そこはイエス様だけが崇められるところです。ですから、私たちは、この地上にいるときから、主イエス・キリストのみを崇めましょう。
   ③「エリヤと人の子」…イエス様が「人の子が死人の中からよみがえるときまで、今見たことを話してはならない」と言われて、弟子たちは、救い主到来の条件として、エリヤが来るということを律法学者たちはマラキ4:5を根拠に言っているということをイエス様に質問します。すると、イエス様は、エリヤ(バプテスマのヨハネ)は既に来たこと、人の子が苦しみを受けることなどを話します。しかし、このとき、弟子たちは、それらのことを理解できる状態ではありませんでした。彼らが、本当に理解できるようになったのは、キリスト復活後、さらにはペンテコステの時だったでしょう。今日、私たちはどうでしょう。キリストの十字架と復活、そして、聖霊に対する理解をさらに深め、主とともにある祝福の人生を歩んでまいりましょう。

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