●11月16日礼拝メッセージ要旨(マルコ9:41~50)

  マルコ9章41~50からポイントを三つあげて学びましょう。
  ①一杯の水とつまずき…41節で、「あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。」とあります。互いに相手をキリストの弟子として尊重し、互いにもてなし合うということは、キリストご自身も、それを喜ばれ、豊かな報いを受けるでしょう。ローマ12:13には「聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。」とあり、ガラテヤ6:10には「ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。」とあります。また、人につまずきを与えないように気を付けねばなりません。伝道者の書10:1には「死んだはえは、調合した香油を臭くし、発酵させる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。」とあります。100度の善よりも1度の悪のほうが重いものです。
  ②神の国とゲヘナ…最近は、終活という言葉があるそうです。人生の最期への備えです。つまり、自分が死んだときのために、自分の墓や葬儀の準備をしておくことを終活と言うのだそうです。しかし、もっと大切な終活は、霊魂の行き先をしっかりと、備えておくことです。すべての人は罪人であり、神の栄誉を受けることはできません。ゲヘナに落ちるのではなく、神の栄誉、すなわち、永遠の天の御国に入るために、イエス・キリストの十字架の救いをしっかりと自分のものとしなければなりません。
  ③塩気と和合…49節の「すべては、火によって塩気をつけられるのです。」とはどういう意味でしょう。第一ペテロ4:12~13を見ますと、火というのは試練のことであり、キリストの苦しみに与ることによって、塩気、すなわちイエス様のように生きることです。聖路加病院理事長の日野原重明さんは、現在103歳で、「生き方上手」などの著書多数です。日野原さんの転機は59歳のとき、1970年のよど号ハイジャック事件で人質になるという経験をされ、そのとき解放されて、飛行機から降りて空港の土を踏んだときです。それまでは有名な医者になることが目標だったけれども、これからは、自己中心でない、もっと外に向いた、人のためになる生き方をしたい、と強く思うようになったそうです。正に、試練を通して塩気をつけられたのでしょう。50節には、塩気を保ちつつも和合して暮らしなさい、とあります。とかく、自分に対して厳しい人は、他人に対しても厳しさを要求してしまうものですが、あくまで、人には優しく、寛容に接していきたいものです。

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