イエス様とパリサイ人との結婚に関するやり取りと、子供たちがキリストのもとに連れて来られた二つの記事からポイントを三つ上げて学びましょう。
①結婚と現実…パリサイ人たちがイエス様をためそうとして、申命記24:1~の離婚に関しての質問をします。それに対してイエス様は、神が定めた結婚の原則と人間の弱さについて語ります。新約聖書では使徒パウロが第一コリント7章で、その問題に関する具体的な勧めをしています。基本的に、独身者に対しては積極的に結婚を勧めているわけではありません。既婚者に対しては、現在与えられている環境に留まるのが良いとしています。
②結婚の奥義…エペソ人への手紙5章には結婚の奥義について記されていると言えるでしょう。教会がキリストに従うように、妻は夫に従うべきであるとあり、キリストが教会を愛してご自身をささげられたように、夫は自分の妻を愛しなさいと教えています。そして、エペソ5:31~32では、 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」とあります。教会、すなわちクリスチャンは、この地上にあって大切な使命が与えられています。旧約時代に、出エジプトしたイスラエルはカナンの地に入ってから、原住民と戦ってその地を勝ち取らなければなりませんでした。新約時代に於いては、ペテロやヨハネ、ピリポやパウロは、聖霊に満たされながら、滅びに向かっている人々に福音を宣べ伝え、多くの魂を救いに導いています。コロサイ1:27には「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」とあります。結婚の奥義以上に、キリストと教会、イエス様と私たちが一体となる奥義が大事です。
③子どものように…パリサイ人らは、イエス様をためそうとしましたが、子どもたちを連れてきた人たちは、単純にイエス様からの祝福を求めました。今日、日本の福音化は中々浸透していきません。福音宣教の自由のない共産主義やイスラム教の国々よりもクリスチャン人口が極少です。なぜでしょう。色々な理由が考えられますが、難しいからこそ、神の特別な御介入に期待しましょう。私たちは、イエス様と一体化させていただき、イエス様のみ心とみ思いを自分のものとさせていただきましょう。そのために、幼子のようにへりくだって、神の祝福を求めましょう。