●3月15日礼拝メッセージ要旨(マルコ13:28~37)  

  マルコ13章は終末に関する記事です。3回に分けて学んでおりますが、28~37節より三回目の学びです。やはり、ポイントを三つ上げます。
   ①その時がいつであるか…いつイエス様が再臨されるかについて、二つのことが言えます。一つは「いちじくの木から、たとえを学びなさい」とあるように、時を見分けるということです。戦争、民族対立、地震、飢饉、不法の人の到来など、それらのことが起きたかどうかによって、再臨の時がいつ頃になるかというおおよその時を見分けることが出来ます。もう一つは、その詳しい日時は誰も知らないということです。キリスト教に似ていて本来のキリスト教ではない、いわゆる異端グループが再臨の日を特定し、当然ながら何度も何度も外れています。それは、主の領域に入り込む傲慢な越権行為です。使徒1:7には、その日がいつであるかを知らなくてよい。父が定めている、とあります。そのようなことは主に委ね、使徒1:8には、聖霊に満たされ、主の証人となるよう勧められています。
   ②滅びるものと滅びないもの…1980年、アメリカ北西部にあるセントヘレンズ山は火山の噴火によって、その美しい形が一瞬にして崩れてしまいました。東日本大震災の大津波による大被害も一瞬のうちに起こりました。やがて、この地球も一瞬にして滅びると聖書は言っています。私たちは、滅びてしまうものに対して必要以上に執着することは賢明ではありません。むしろ、滅びないもの、いつまでも残るものに目を留めてまいりましょう。「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(第一コリント13:13)」
   ③目をさましていなさい…第一のポイントでは、再臨の時を見分けながらも、いつになってもよいように、備えていなければならないということでした。出掛けた主人の帰りを待つしもべが、忠実に仕えて、主人が帰ってきたとき喜んで出迎えるごとく、私たちは、イエス様の再臨のとき、霊の目を覚まして再臨を迎える者でありたいものです。ヨハネ9:4には「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。」とあります。私たちは、今、与えられている時間や機会を福音を証しすることのために用いてまいりましょう。

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