●3月29日礼拝メッセージ要旨(マルコ14:17~31)  

 二階の広間で、イエス様と弟子たちが過ぎ越しの食事をしている場面、そして、その後、オリーブ山に出掛けて行く場面から、ポイントを三つあげて学びましょう。
  ①人の子を裏切る…「裏切り」という行為は、親しい関係、信頼関係が深ければ深いほど、裏切られた側としては、そのダメージは大きなものとなるでしょう。詩篇41:9には「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。」とあります。その預言どおり、イエス様と同じ鉢にパンを浸していた者が裏切ったのです。神の御子イエス・キリストを裏切るということの代償は小さくありません。しかし、もし、私たちの側が、主を信頼し、どこまでも従って行くのであれば、主は、私たちを決して離れることも捨てることもありません(ヘブル13:5)。
  ②新しい契約…「新しい契約」があるなら、「古い契約」もあるわけです。モーセはシナイ山のふもとで、子牛と山羊の血を取って、契約の書と民全体に注ぎかけ、「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。それから千年以上過ぎて、神の御子キリストが、十字架にかけられる前に過ぎ越しの食事のあとで、杯を取って「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」と言われました。ここで「多くの人のため」とあります。つまり、「全ての人のため」ではなく、あくまでも、イエス・キリストの十字架による救いを受け入れ信じた人に、その恵みが及ぶのです。キリスト者は、その新しい契約を取り交わし、その祝福の中に置かれた者であることを自覚しましょう。
 ③つまずき…「あなたがたは、みなつまずきます。」と言われたイエスさまに対し、ペテロは「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」と力強く言い放ちました。人間は、とかく威勢の良い人に心を動かされて、そういう人について行ったりするものです。しかし、一本の髪の毛すら白くも黒くもできない人間が、限度を超えて思い上がるべきではありません。むしろ、神が私たちに何を望んでおられるのかということを求め、神の導きに従ってまいりましょう。「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とし、おごることなく、いつも主の助けを求める者でありたいものです。

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