●7月12日礼拝メッセージ要旨(ルカ2:41~52)

12歳になられたキリストが、両親らとともに過ぎ越しの祭りにエルサレムの宮に行かれた時の記事からポイントを三つあげて学びましょう。
①イエスの知恵…エルサレムからの帰路、一日してから両親はイエスが一緒にいないことに気付きました。想像に過ぎませんが、両親は、イエスの弟たちに気を取られ、しっかり者の長男イエスに対しては信頼しきっていたため、そういうことが起こったのでしょう。エルサレムの宮に戻ると、イエス様は教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしていました。人々は、このときのイエス様の知恵と答えに驚いていました。この当時、12歳のキリストの知恵はどれほどだったでしょう。旧約聖書のソロモン王も特別な知恵が与えられました。ソロモン王の知恵を聞いた人々は、王を恐れました。それは、天の神が下さる知恵です。ヤコブ3:17には「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」とあります。人間的な知恵とか打算ではなく、上から来る知恵によって、永遠の祝福につながる本当の知恵者となりたいものです。
②自分の父の家にいる…ようやくのこと、宮にいたイエスを探し当てたマリヤは、「まあ、あなたは、なぜ、私たちにこんなことをしたのですか。」と言うと、イエスは「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることをご存じなかったのですか。」と言って答えられました。神殿はそもそも神を礼拝する神の家でありますが、それと合わせて、御子イエスさまはいつも父なる神と共にいるということを暗に言われたのでしょう。私たちも、イエス様、聖霊様、天の父といつも共にいる者でありたいと思います。そのためにも、いつも主に心を向け、絶えず祈る者でありたいと思います。
③神と人とに愛された…私たちは、この見える世界に生き、見えない真の神を信じています。見えない神を第一にしつつも、見える世界を尊重しなければなりません。目の前にいる人が水が欲しくて渇いているのに、本を与えても読みたいとは思わないでしょう。新しく始まる「つばめさわ教会」も地域の人々のニーズに応答しながら、福音を満たして行きたいと考えます。また、教会は企業のように利潤を追求するためにあるのではありません。教会の存在目的、本質を見失うことなく、神にも人にも愛される、且つ、神と人とを愛する教会であり、一人一人でありたいと願います。

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