8月9日礼拝メッセージ要旨(イザヤ41:10)

聖書には頻繁に「恐れるな」ということばが出てきます。このイザヤ41:10にも「恐れるな。たじろぐな。」とあります。それだけ、私たち人間は、弱く、恐れてしまいやすい存在であると言えるでしょう。恐れない、たじろがない、そういう毎日を過ごすためにポイントを三つあげましょう。
第一は、「天地を創造した真の神を知ること」です。創世記1章1節には「初めに神が天と地を創造した。」とあります。この世の多くの人々は創造主の存在を認められないので、すべてを偶然で説明しようとしています。ですから、仮説に過ぎない進化論に多くの人々が影響を受けています。しかし、進化したという明確な証拠は一つも認められていませんし、最初の生命がどのようにして発生したのかと言う最も肝心な説明さえもされていません(と言うよりも説明できない)。それでも、進化論がこれほどまでに浸透しているのは、聖書のことばと創造主の存在を受け入れたくないという前提に立っているからです。聖書は、創造主である神がおられ、この方がすべてのものを創造し、総べ治めておられることを宣言しています。そして、この方は、唯一で、義なる方であり、愛なる方であるということです。
第二のポイントは、「神は愛なる方である」ということです。全知全能の神は何でもおできになり、どこにでもおられ、日々、私たちを見守っておられます。私たちが善を行なえば喜ばれ、悪を行なえば悲しまれます。私たち人間は、それぞれ負い目を持ち、欠点も失敗もあります。そのような私たち一人一人を神は、愛してくださり、2000年前に十字架で私たちの身代わりに罰を受けてくださいました。それは、私たちの罪を赦し、永遠のいのちを与えるためでした。
第三のポイントは、「神は私たちと共にいてくださる」ということです。真の神はどこにおられますが。どうしたら、その方と親しく交わることができますか。イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ誰ひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)」と言われ、また「わたしは門です。(ヨハネ10:9)」と言われました。私たちの罪のために十字架で死んで復活したイエス様の名を呼び求める(ローマ10:13)とき、神がともにいてくださり、私たちに平安が与えられ、恐れることも、たじろぐこともないのです。

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