●10.18礼拝メッセージ要旨(ルカ6:1~19) 

安息日についてのキリストとパリサイ人との問答、その後、キリストが山に上り、祈りながら夜を明かされたあと、12使徒を任命した記事などからポイントを3つあげて学びましょう。
①安息日の主…イスラエルの歴史から安息日について考えてみましょう。イスラエルは出エジプトからカナン定住後、ダビデ王、ソロモン王時代の隆盛期のあと、国が二つに分裂し、結局、両国とも滅んでしまい、ユダ王国はバビロン捕囚となります。なぜそうなったのでしょう。それは、偶像礼拝の罪のゆえです。偶像礼拝は結果的に創造主である真の神をないがしろにし、さらに神が定めた安息日もおろそかにします。その後、バビロン捕囚となったユダヤ人は、70年後にエルサレム帰還し、神殿を再建します。そして、その後、安息日を聖として守ることが徹底されました。それは、かつて安息日をおろそかにした苦い経験が彼らをそうさせたのでしょう。しかし、その後、パリサイ人たちの出現により安息日に対する行き過ぎた解釈がされるようになりました。ところで、今日のクリスチャンは、現在、キリスト復活日である週の初めの日を安息日としていますが、その安息日に対してどういう位置づけをしているでしょうか。パリサイ人とは逆に、あまりに安息日をおろそかにしていないでしょうか。十戒の中の八つは「してはならない」です。「せよ。」はたった二つで、それは第4戒の「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」と第5戒の「あなたの父と母を敬え。」です。つまり、日曜日は教会に集まって礼拝し、父母を敬う。これが、すべての人の人生を祝福に導く源なのです。
②使徒の使命…弟子の中から12人が使徒として選ばれました。結果的にイスカリオテ・ユダは脱落しますが、使徒の働き1章ではマッテヤが代わりに選ばれます。そのとき、使徒の条件が「イエス様と行動を共にし、キリスト復活の証人(使徒1:22)」となる人です。今日、クリスチャンもキリスト復活の証人として召されていますが、果たして当時の使徒と比べて、キリストの証人としての力は十分でしょうか。しかし、パウロは第二コリント12:9~10で、「キリストの力が自分をおおうため自分の弱さを誇る。弱いときこそ強い。」と告白しています。
③大きな力がイエスから出て…イエス様の故郷ナザレでは、人々が不信仰のゆえに神の力は現われませんでした。しかし、その場所では神の大きな力が現われました。今日、特別な賜物を持った神の器を通して、時に、大きなわざが現われることもあります。しかし、二人でも三人でもイエスの名によって集まるところに聖霊様が共におられます(マタイ18:20)。ですから、小グループで、問題や病のために祈ることは有益です。多くの人はイエス様を必要としています。クリスチャンを通して福音が伝えられていくのです。私たちは自分自身を過小評価せず、神の通り良き管とならせていただきましょう。

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