全身ツァラアトの人がきよめられた記事と中風の人が友によって屋根からつり降ろされて、いやしを受けた記事からポイントを三つあげて学びましょう。
①イエス様への信仰…全身ツァラアトの人は、イエス様を見てひれふし、「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」と言いました。イエス様は、彼のそのまっすぐな信仰に応答され、すぐに彼に手を伸ばし、さわって、いやしのわざを行なわれました。もう一組は、中風の人を床のまま担いで、イエス様の前に連れて行った人たちです。あまりに人が多く、玄関から中へ入ることが出来ず、その家の屋根を剥がすという荒業までして、中風の友をイエス様の前に差し出しました。あとで屋根を修理することまで考えていたのかどうかは不明ですが、ともかく、病人をイエス様の前に差し出せば何とかなるという一途な信仰から出た行動だったのでしょう。ですから、20節でイエス様は彼らの信仰を喜ばれたゆえに、中風の人の罪を赦されました。今日、私たちも、イエス様に対して、まっすぐな信仰、一途な信仰によって歩みましょう。
②荒野に退いて…イエス様の評判が広まると、多くの人々が押し寄せてきました。そんなとき、イエス様はよく荒野に退いて祈っておられました。イエス様は神のひとり子、神ご自身でもあられました。しかし、この地上においては人として、また、私たち人間の模範として歩んでおられました。一般的に私たち人間は、物事が順調に進んでいるときには、気を緩めてしまうものです。旧約聖書ヨシュア記のヨシュア率いるイスラエルは、エリコの城壁を陥落させ、次にアイの攻撃に移ろうとしていました。エリコでの成功もあり、アイ攻撃には少人数で向かわせましたが、結果は惨敗でした。ユダ族のアカンの罪が原因でしたが、やはり気のゆるみがあったのです。どんなことでも一つのことを完成させるには、最後の最後まで気を引き締めていかねばなりません。私たちもイエス様にならい、忙しい時こそ退いて祈る、そういう姿勢を確立させましょう。
③罪を赦す権威…天井からつり降ろされた中風の人に対してイエス様は「あなたの罪は赦されました。」と言われると、パリサイ人たちが「神のほかに誰が罪を赦すことができよう。」と心の中で理屈を言い始めました。そこでイエス様は、ご自分が罪を赦す権威を持っておられることを示すために、中風の人に「起きなさい。寝床をたたんで家に帰りなさい。」と命じました。すると、その人はサッと起き上がり、神を崇めながら自分の家に帰って行きました。罪を赦す権威を持っておられるイエス様は、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方(マタイ10:28)です。私たちは、この方を恐れ、主の栄光を現わして生きることを求めましょう。