●10.25礼拝メッセージ要旨(ルカ6:20~36) 

マタイ5章~7章は山上の垂訓とも言われております。このルカ6章20節からは、山上ではなく、平地のようです。平地の説教と言えそうです。20~36節からポイントを三つあげて学びましょう。
①幸いな人と哀れな人…貧しい者、飢えている者、泣く者、迫害されている者は幸いであるとし、逆に、富む者、食べ飽きている者、今笑っている者、今褒められている者は哀れであると言っています。イエス・キリスト(聖書)独特の表現ですが、一般の世の常識ではとても理解できないことばです。先日、プロ野球ドラフト会議が行なわれました。これまで、一位指名された選手が一軍に昇格しないうちに引退したり、下位指名の選手がスーパースターになることも稀ではありません。そういう意味では、そのキリストのことば通りとも言えます。パウロは、ピリピ4:12で「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」と言っています。恵まれていても奢ることなく、逆に厳しい環境であっても落ち込まず、主を見上げて明るく前向きに生活したいものです。
②敵を愛する…平和な生活の中で、誰も敵などはいないでしょうが、人間長く生きていれば色々な人と接触し、その中で特に苦い経験を覚え、潜在意識の中で、「赦せない人」の存在があるかもしれません。ヘブル12:14には「すべての人との平和を追い求めよ」とあります。また、同12:15には「苦い根が芽を出さないように」と勧めています。人間は弱いものです。どうしても解決できない場合もあります。そのためにこそ、キリストが身代わりに十字架で罰を受けられたのです。勝利者なるイエス様に代わりに戦っていただき解放されましょう。
③ゴールデンルール…31節に「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。」とあります。黄金律とも言われている、この考え方は、案外、この世の優良企業などが採用している方法です。預言者エリシャの時代、北イスラエルとアラムが戦っていた時のことです。エリシャによって盲目にされたアラムの軍隊がサマリヤに連れて来られ、そこで彼らの目は開かれました。北イスラエルの王は「私が打ちましょうか。」と言うと、エリシャは「飲み食いさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」と言いました。北イスラエルの王は彼らのために盛大なもてなしをして彼らの主君のもとへ行かせました。すると、その後、アラムは侵入してきませんでした。侵攻してきた敵軍に飲み食いさせるという考えは誰も思い浮かばないでしょう。預言者エリシャを通して、創造主である神がそのようにさせたのです。自分のしてもらいたいことを人にもする、この神の知恵でもあるゴールデンルールは正に、人生成功の秘訣です。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です